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自分を、性を、生きる

母を亡くした後、体調も心のバランスも崩したことは前回の記事に書いたのだが↓
「母をなくす」という出来事だけが ショックだったのではないと、後にわたしは気づくことになる。

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目次

「母性」だけで生きるのは難しい

母は、まるで死期を悟っていたかのように、その1ヶ月くらい前に「つながりの深い人たち」に挨拶に行っていた。その人たちが好きなお菓子やお酒を渡して、久しぶりにゆっくりと、いろんな話をして過ごしたらしい。

実家のどの扉や引き出しを開けても、どこもキレイに整理整頓されていた。「キレイ好きな母らしい」とは思ったが、それにしても整理されすぎていて、少し怖くなったというか、逝くことをひとりで静かに受け入れていたようで、悲しい気持ちになったことを覚えている。

母はいつでもそうだった。
ひとりで考え、ひとりで決め、誰にも頼らず、迷惑もかけず、小さな体に秘めた芯の強さで、大切なものを必ず守り抜くという凄みがあった。

わたしは母の子だったから、そんな母から何度も守られ、大切にされてきた。だから母を偉大に感じていたが、やはり親子というものは、無意識のうちにその人の生き様や考え方がすり込まれるものである。それが他人や別の家族なら、当たり前に感じることはなく、「そんなことまでするの?」と思うことであっても、自分の家族や大切な人となると、いつの間にかスゥーッと自分に溶け込むように、その生き様は沁み入るものである。

わたしは母がとても好きで、何でも言えて、ものすごく尊敬もしていたから、道標と安らぎを失ったような気持ちになっていた。が、同時に、わたしは母のような「母」になれるのだろうか?という不安も揺らいでいた。

何故、揺らいだのか?

母は、常に子どものわたし達を優先していた。考えてみたら、わたしは母が「女性」であることを意識したことが少ない。母というジャンルでしか見れなかった。だからわたしも「母」になった時、「女性」という自分の中の性ではなく、「母」というジャンルを意識したんだと思う。

それは、「母性」が溢れたという自然なことでもあるのだけど。
自然なだけに、誰もがそれを受け入れる。女性であることも自然なのに、それは置き去りになりやすい。
目の前の命に、みんな必死になるからね。

母が最期まで「母」を貫いたということは、わたしもそうせねばならない、と思ったから揺らいだのだ。子どもより自分を大切にすること、その罪悪感は大きなものだった。

しかし、わたしは母の死をきっかけに「母のようには生きれない、いや、生きたくない」と思うようにもなった。
そこに罪悪感を感じながら、母のように強い意志で、女性ではなく「母性」で生きることはできないし、そうはなりたくないと思う自分に気づいた。

子ども達はとても愛しい。わたしにできることがあるなら何でもしようと思う。
でも、わたしという人間は、「女性」という性がある。その中に「母性」もある。わたしという人間の中にあるものすべてを大切にしたい。それが命を全うするということだと、死を前にして強く思ったのだ。

「わたしという人間」の中の一部の「母性」として生きるだけは難しいと、正直感じた。

そう思うことは普通かもしれないが、わたしの育った家系は「母性」で生きる女性ばかりだった。だからわたしはいつも「変わり者」と思われてきた。その後、わたしは離婚と再婚をするのだが、どちらの時も、なかなか受け入れてはもらえなかった。

いちばんの味方でいてくれ、わたしの背中を押してくれたのは、子ども達だけだった。
でもそれは、わたしにとって悲しい出来事ではなかった。

自分を大切に生きることで、子ども達も自分を大切に生きようとする。知らないうちにすり込まれるのが家族なら、いちばん影響する身近な家族に、人間にとって本当のことをすり込めばいいと思った。それは成功したと思われる・笑

何故なら、子ども達はいちばんの味方になってくれたから。それはわたしが子ども達の「いちばんの味方である」ことの証だ。変わり者と扱われても、まわりにどう思われても、こんな嬉しいことはない。自分を生きるとは、こんなご褒美をあとに用意してくれる。

優しく包まれるような感覚と共に心に届く言葉

だけど、わたしは、すり込まれていたものを、簡単に変えられたわけではなかった。罪悪感という、長い間、自分の中に「抵抗する自分」も一緒に過ごしてきたから。

自分の大切にしたい自分、と、これまですり込まれてきた大切なこと、
それらを分けて考えて、暮らしていこうとしていたとき、ふたりの女性に言われたことがある。
ふたりは同じように、わたしの目を真っ直ぐに見つめながら優しく包み、でもハッキリと伝えてくれた。

「あなたは長い間、母としてだけで生きてきたよね。それはとても尊くて素晴らしいことだけど、女性として生きるステージがきてるよ。そこも生きたら「自分を生きる喜び」を自分自身で感じられる。そうしたら、本当はどんな女性になりたいか、見えてくるよ。」

もうひとりの女性は

「あなたの家系は、女性に強いていることがあるよね?
あなたがあなたを生きて喜びに溢れたとき、あなたの娘さんは受け継がれてきたことではなく、自分の幸せを喜んで生きるよ。あなたのお母さんも、あなたが自分を生きてくれた方が幸せなんだよ。もう、変わるときが来たよ。」

状況に抵抗しているわたしの心を見透かされたように、でも、ふたりの言葉の温かさは、どこか母からのメッセージのようにも感じられ、わたしの方向、道標を示してくれた。

変わる時の感情や現実にどっぷりと浸かること。それは容易ではなく、今まであったものを失くすような怖い気持ちになることでもあった。戻りたいと思うことも、やっぱり戻った方がいいと、進むことをやめていた時間もあった。

でも、その時にしか感じられないことがある。
結果的に、自分も子ども達も生んでくれた母も、幸せを感じる。
ふたりの女性のメッセージは、逃げそうなわたしを「自分を、性を、生きる。」ことへと決断させるものだった。
 

こういう流れを生きて思うのは、自分の人生の大切な分岐点の時には、真実を伝えてくれる人がなぜか現れると思っている。それは心地良い言葉だとは限らないし、時に厳しく感じることもある。辛い出来事としてやって来ることもある。わたしの場合、「母の死」を通して、「母の教え」に背くような気持ちになったから、決して「いいこと」、「いい流れ」だとは思えなかった。

が、何故か言葉を伝えられた時、優しく包まれるような感覚と共に心に届く言葉を与えられている。だから今でも、状況は厳しく感じたとしても、あたたかな感覚と耳に残る言葉なら、自分の肚に落とすようになった。

この後、わたしの元には「自分を、性を、生きる。」人がやって来るようになる。
ここにどっぷりと浸かる人が少ないから、、、(わかる、わたしも逃げた時間があったし)、そんな人を増やしたいと思っている。それこそ受け取ってきたわたしのバトンだと思うし、後世にもつなげたいから。
 
 

これから「自分を、性を、生きる。」という人は、こちらの講座もご参考にどうぞ↓


りんごろ

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