わたしの誕生日に、次男坊は学校で友達とフザケてケガをしました。
そして
わたしの誕生日だったということで
とても心を痛めて、何度もわたしに謝っていました。
最初にLINEで連絡があった時は
大したことはないように伝えてきたのですが
彼を感じると
表情も足も悲鳴をあげているな、と思いました。
自分にとって本当に大切な人は、誰だろう?
本当に
本当に
大切な人は、そんなに多くはいない。
一度真剣に自分に聞いてみて。
「自分にとって本当に大切な人は、誰だろう?」
どんな状況、状態になったとしても
絶対的な味方でいてくれる人。
思いやってくれ、
時に厳しいことでも
自分のために適切な言葉をかけてくれる人。
もしくは、宇宙一の味方でいてほしい人。
人は
そばにある、本当に大切な人には気づきにくい。
当たり前すぎて。
以前、わたしが好きだった人が呟いたことがあります。
「自分がいなくなってから、周りは(自分の)大切さに気づくんじゃないかな」と。
それを聞いた瞬間、胸が締め付けられました。
本当に気づいてほしいのはそこなんだと知ったから。
同時に
その言葉は、あきらめの言葉だと感じたからです。
どんなにわたしがそばにいても
あきらめて心を閉じていれば
誰の言葉も優しさも届かないし、入らない。
自分で気づかないと意味がないんです。
自分の呼吸は自分しかできないことと同じで。
この状態で
わたしができることは、なんだろう?と考えました。
あきらめていることを、
わたしも同じように受け入れるのではなく
本当に気づいてほしい人たちを大切にして丁寧に過ごすこと
だと伝え
閉じた心が
再度開くように
言葉もエネルギーもかけることだと思いました。
わたしにとって大切で好きだった人だから。
大切な人の大切なことを大切にする。
何度も言いますが
人は
自分のそばにある、
本当に大切な人には気づきにくい。
あきらめの言葉が出るということは、
その人自身も、
そばにある本当に大切なこと、大切な人に気づいてないということ。
苦しみ、弱り、あきらめること、
心を閉ざすことで
これ以上傷つかないようにしているということ。
でもね
いなくなってからじゃ、傷は深くなるだけ。
わたしは
好きだった人がさらに傷つくのを見過ごすのはイヤ。
もう一度心を開いて
大切な人たちと向き合えるよう、
できることをしようと決めました。
早くに両親を亡くしたわたしは
伝えたかったこと、
大切にしたかったことが たくさんありましたが、
あまりにできなくて、
限りある時間を見せつけられて、ものすごく後悔しました。
今はもう
後悔や自分を責める気持ちは消化しましたが
長くそれらを持ち続けたことも事実です。
だから
同じように過ごさないでほしいとただただ思います。
なにより「大切な人」を優先していますか?
そばにある
当たり前すぎる大切な人のことは、以外と無自覚なもの。
いつだってできる、と思い込みやすく、
適当に扱ったり、
意地を張ったり、
イライラしたり、
傷つく言葉をぶつけたり、
本音を伝えなかったり・・・
してしまいがち。
それよりは外側にある
得を与えてくれそうな人に流されやすかったり、
いつでもできるから、と 時間もエネルギーもお金も、外側から使ったり。
でも、
自分の心の根っこを支えてくれているのは
自分にとって本当に大切な人なの。
ご先祖さまに手を合わせることも
神さまを拝むことも
気のいい場所に行くことも
好きなことをすることも
学ぶことも
本音をカウンセラーやコンサルタントに聞いてもらうことも
悪くないし
必要なときもある。
けれど、
それは
あなたにとって
本当に大切な人を大切にしてから
でもできるよね。
なにより「大切な人」を優先できてる?
自信を持ってそう言える?
いちばん大切にしたい人を いちばん大切にしよう。
心と心を寄り添わせてますか?
わたしは
大切な人から
時間もエネルギーもお金も使います。
次男坊は
そばにいるわたしの大切な人。
あのとき彼にいちばん必要だったのは
病院に行くことより(病院も行ったけど)
心と心が寄り添うこと。
次男坊自身が
心をわたしに寄り添わせているから
誕生日にケガしたことを、なにより悪いと思うんだよね。
足が痛いはずなのに
そんなことは一言も言わず、わたしをいちばんに優先する。
優しい子に育ってくれました。
それが
わたしへの最高の誕プレです❥
そしてもう、
自分のことを考えよう!
治して、いつもの生活に戻れるようにしよう!と話しました。
当たり前にそばにある大切な人。
心はそこから寄り添わせ続ける。
(次男坊にいいコちゃんが現れるまでね❥)
非日常も、
特別な日も
心に喜びを与えてくれるけれど
普段の日常から
大切な人を、大切にして過ごす、
いちばん大切にしたいことを、いちばん大切にする。
その意志で生きる人は、
見えない太い太い幹が体のど真ん中に在り
根は深く広く大地を張り巡らし、地球の恵みを吸収し、
自分の奥深くを温め、
溢れた愛は実となって
多くの人に幸せを与えることができるだろう。
自分を尊び、愛するとは
誰かを想うこと。
シンプルに
いちばん大切な人を、いちばん大切にすることです。