ユーモアと大きな愛に包まれてきた感覚
母を突然亡くしたとき、わたしは体調も心のバランスも崩した。
そんな自分にどう向き合っていいか分からず
ただ哀しみの海の底に沈みながら
目の前の幼い子ども達が暮らせるように淡々と家事をこなして過ごした。
下を向けば涙が溢れ、人に会う気にもなれなかった。
病院で意識のない母を前に、最期だと思って手を握りながら
「もっと甘えたかった
もっと一緒に過ごしたかった
もっといろんなことを教えてほしかった
もっと旅行に行きたかった」
と伝えたとき、意識のない母の目からは、涙が頬をつたって流れていた。
そのとき
高校までわたしをハグとチューで起こしていた
母のユーモアと大きな愛に包まれてきた感覚を久しぶりに思い出した。
母は病で倒れ意識もない弱った身体なのに
そんなことは関係なく、わたしへの愛を貫いていた。
母を亡くして沈んだとき
自分の哀しみばかりで視野が狭くなっていたと思う。
当時の娘の明るさと存在が
幼いわたしと母の関係に重なり
当たり前にあった母の愛に丸ごと包まれていたわたしを蘇らせてくれた。
愛は本当に強い。
命を超える芯の強さがある。
母の時間も存在も、今ここになくても
愛だけはわたしの中に存在し続け、今も包まれている。
お金を稼いでいるとか
誰にどう思われているとか
身体が健やかとか、、、
そういうことでは補えない人間の強さってある。
世の中で良いとされていることや、病や年齢などに関係なく
今回大阪に行って
ひとり暮らしを始めた子ども達に2ヶ月ぶりに会った。
子ども達も
母を亡くしたときのわたしと同じように
何かを失ったような表情をして荒んでいたけれど
【丸ごと愛に包まれていた自分】を蘇らせて、表情から変わっていった。
当たり前にあるものを失う感覚を知ったからだと思う。
愛とはつながり続けることじゃない。
親子でも夫婦でも、仲の良い人たちでも
元々【個】として離れていることを自覚し
それでも、自分が選択して、つながることを望み続けていること。
それを知ると
感謝とかでは表せない相手への愛と尊さが生まれ続ける。
わたしは既に、子ども達より小さくなった。
彼らは成長して大きくなったし
これからのわたしは歳を重ねながら、もっと小さくなるだろう。
だけども信号のない空のように
いつでも自由な選択ができること
いつからでも羽ばたけること、
そして世の中で良いとされていることや、病や年齢などに関係なく
本当の強さ、愛の大きさだけは失わないことを見せ続ける存在でいたいと思う。
強くて、だけど 柔らかく 温かい
でも、本当のことを伝える人でいたい。
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