
「ブログ書いてるんだから、本はすぐに書けるよ。書いてみたら?」
この言葉、わたしは何度も言われてきました。
たしかに。ブログを書けるなら、本も書けるかも。
理屈としては、そうなんだと思う。
ありがたいことに、「りんごろさんに、こういう本を書いてほしい」、「この話、まとまった本で読みたい」、そんなリクエストをいただくことも、何度もありました。
でも、わたしは……ずっと“書く必要”を感じなかったんです。
言葉を届けることは、ずっとやってきた。
ただ、「本」という形で世の中に出すだけの理由が、わたしの中で、まだ点のままだった。
恋愛相談の現実と、湧かなかった情熱
恋愛相談を受けてきて、いろんなお話を聞かせていただきました。
それはいつも、尊くて、あたたかい時間。
でも同時に、現実を見れば、こんな景色も多かった。
「今はそのタイミングじゃない」
そう言いながら、恋愛から離れていく人たち。
恋愛そのものを諦めてしまう人たち。
同業者が、ぼそっと言うこともあった。
「恋愛相談って、今じゃ不倫相談ばかりじゃない?」
現実を見れば、たしかにそんな情景もある。
恋愛本だって、すでに山ほどある。
だから、わたしは思ってしまったんです。
そこに、わたしが本を書く必要ある?わたしが出す意味って、ある?
……うーん。情熱が湧かなかったのは、正直それ。
20代の「まだ恋を諦めてない息」
ところが、その心を変えてくれた人たちがいました。
20代の若い人たち。
わたしから見たら、子どもたちと同じ世代。
その世代が「まだ恋を諦めてない息」を持って、わたしのところに来てくれた。
諦めも、忖度もない。
「どうせ無理」じゃなくて、「でも私、ほんとはこうしたい」から始まっている。
その相談を受けるたびに、わたしの中の固まっていたものが、少しずつ溶けていったんです。
あ、まだある。
まだここに、願いがある。
恋愛って、まだ生きてる。
そして、その“息”に触れたとき、わたしの中でずっと気になっていた問いが、はっきりしてきた。
—この人たちが欲しいのは、恋愛テクニックじゃない。
—本当に欲しいのは、もっと手前の「土台」なんじゃないか。
わたしの原風景と、安心のはじまり

わたしの原風景は、田舎の自然の中です。
朝、外に出ると、
風のにおいがして、川の音がして。
毎日通る道には、お地蔵さんが並んでいて。
それだけで、なんだか守られてる気がするような道でした。
わたしは「鉄砲玉」って大人に笑われながら、
毎日、毎日、走り回って遊んでました。
(遊びに行く時だけ鉄砲玉みたいに早く出て、帰ってこない、の意味。笑)
誰かと比べるとか、評価されるとか。
そんなことを考える前に、目の前の世界が、もう十分おもしろかった。
家に帰ると、
お母さんが忙しそうにしている日も多かったけど、
不思議と「愛されてる」は当たり前に享受していて。
親が自分を大切にしてくれているか?
なんて、考える時間も、確かめる必要もなかったんです。
たとえば、庭で育てていた花のところへ行って、
水をあげながら「今日も元気だね」って話しかけてた。
返事が返ってくるわけでもないのに。
でも、返事があるから話すんじゃなくて、
“わたしが感じたから”声をかける。
その感覚が、わたしにとっての「対話」でした。
そしてその対話が、いつの間にか、
自分の内側にも向き、他人にも向いていった。
返事があるから話すんじゃなく、
相手の心に、ただ話しかける。
母は「愛してる」という言葉をかけてきたことはありません。
だけどわたしは、「生きてるだけで愛しい」を浴び続けていました。
そういう安心が、言葉じゃなくて、空気みたいに体に染みていた。
だからわたしは、「愛されるには?」を考えずに育ったのかもしれません。
たぶんわたし、愛され確認より先に、川のカエルの声を聞いて育ったんだと思う。
恋愛相談で見えてきた「不足」の正体
恋愛相談で、繰り返し届いていた言葉があります。
「親がこうだったから、私はこうなった」
「親にこうしてもらいたかった」
「だからパートナーには、こうあってほしい」
その願いの奥には、たいてい傷がある。
「私は大切にされていない」
「私は愛されていない」
そしてそこから、次の問いが生まれる。
「愛されるにはどうしたらいい?」
「大切にされるにはどうしたらいい?」
もちろん、その問い自体を否定したいわけじゃない。
誰だって、愛し、愛されたい。
でも相談を聞けば聞くほど、わたしは思うようになったんです。
“愛される方法”を探し始めた時点で、
心のどこかが「不足」になっている。
「足りない」
「埋めたい」
「変えなきゃ」
そんな温度が立ち上がってしまう。
本当は、その不足の奥にある本音に辿り着けたら、
そこから光が射すのに。
わたしたちは時々、
その不足を別のものにすり替えてしまう。
恋愛の中で相手を試すこと。
不安で自分を責めること。
本音じゃない言葉にパワーを注ぐこと。
……それ、苦しいよね。
ほんとは欲しいもの、そこじゃないのに。
だからわたしは、ずっと焦点をそこに当ててきました。
どうしたら「不足」を探さなくていい心の土台が育つのか。
どうしたら「愛されるために頑張る」から降りられるのか。
どうしたら「そのままの自分」でいられるのか。
どうしたら「本音」を素直に伝えられるのか。
どうしたら「傷つく」「傷つける」の世界から飛び立てるのか。
これはノウハウやスキルの話じゃない。
もっと静かで、もっと根っこの、“内側の在り方”の話。
子育てで確かめたかった「安心の土台」
そしてわたしは、子どもたちが生まれたとき、ひとつ思ったんです。
全部を肯定され、愛を受け取りながら育ったら——どんな子になるんだろう。
もちろん、現実はいつも完璧じゃない。
親だって腹が立つし、意見も言うし、ルールもある。
(ワレワレも人間です。はい。笑)
でも、その“土台”だけは、自分の子育てで育んでみたかった。
そのままの自分でいられる安心を、先に。
安心が先に育つと、心は「不足」を探しにいきにくくなる。
不足に引っ張られない人は、恋愛でも人間関係でも、変にこじらせにくい。
もちろんゼロにはならない。
人間なので。笑
でも、こじれそうになったときに戻ってこれる。
「大丈夫。わたしはわたしのままでいい」って。
合図が来た。「愛され力抜群ですね」
そして驚くほどわかりやすい形で、わたしに“合図”が来ました。
娘が就職の面接を受けて、春から勤めることになり、その会社の社長さんが、実は知り合いで。
面接のあと、社長さんがそっと伝えてくれたんです。
「娘さんには言ってないんですけどね」
そう前置きしたあとで。
「愛され力が抜群ですね」
「こんな子、今までいませんでした」
……親って、その言葉だけで胸がいっぱいになるよね。
(静かに、でも確実に、どーんってなるやつ。)
でも不思議なことに、わたしの中で最初に動いたのは、単なる“喜び”じゃなかった。
「娘は素を出せたんだな」
ただ、そう思った。
“そのまま”で生きる在り方を、現実に出せたんだなって。
娘は昔からよく言われてきた。
「愛嬌あるよね」って。
でも今回の言葉は、ただの褒め言葉では終わらなかった。
恋愛相談で何度も触れてきた不足の痛み。
わたし自身の原風景にある安心の感覚。
子育ての中で大事にしてきたこと。
全部が一本につながって、点が線になった。
だから書こうと思った。
娘の話を書きたいというより、
娘の話をきっかけにして、わたしがずっと確信してきたことを、言葉にして次世代へ手渡したくなった。
『愛され力』は、技術じゃなく「安心の土台」
愛され力って、結局この「安心の土台」のことなんじゃないかと思っています。
愛され力は、誰かに気に入られる技術じゃない。
誰かに好かれるために磨くスキルでもない。
「愛される存在としての自分」を、ちゃんと自覚し、出せる力。
「そのままの自分」で人と出会える内側の力。
静かで、やさしくて、
でも確かに現実を動かしていく力。
それが整ってくると、人との関係や現実が、じわっと変わっていく。
そしてその変化は、
頑張って無理やり掴み取る感じじゃなくて、
「気づいたらそうなってた」みたいにやってくる。
わたしはこの感覚を、たくさん見てきたし、自分でも体験してきました。
完成まで、一緒に旅してもらえたら
完成まで、よかったら一緒に旅してもらえたら嬉しいです。
学んで一緒に、というより、ゆるんで一緒に。
ゆるんで、安心したとき、人は、いちばん自然に“素”が出てくる。
そして“素”が出ている人ほど、不思議なくらい、大切にされていく。
この本は、そのことを、わたしの言葉で、8つの章に分けてまとめてます。
『愛され力』の制作の進捗やお知らせは、ここ「4ever」で記事にしていきますね。
よろしくお願いします。



