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ないふりをやめたら、心は軽くなる「嫌な記憶を“保存”しない私のやり方」

先日、大阪で次男坊と娘と一緒に夕飯を食べた。久しぶりの私の料理である。フルーツも食べ、アイスも食べ、最後はコーヒーで締めた。

たわいない話に笑いがこぼれ、部屋の隅々まで安心が行き渡る。
その時間が、みんなで暮らしていた頃の延長線にふっとつながって、胸がきゅんとなった。

日常の中には、温もりやおもしろさが、思っている以上にぎゅっと詰まっていると、身体の芯から感じ入った。

目次

温もりを持ち運ぶ

私にとって過去の記憶は、あたたかいものが大半を占めている。
思い出すたびに今の私まで温めてくれる。

だからといって、過去に嫌な出来事がなかったわけではない。
耳に残った言葉や、心に引っかかる場面はたしかにあった。

けれど、そんなことに私の人生を明け渡していられない。
怒りや相手への嫌な感情で私の人生を黒く染めるつもりはない。

かといって、嫌な出来事を「ないこと」にして棚にしまい込むこともしない。

本当に感じたいことーー私という源の火にかけて温め直し、形を変えて受け取り直す。

こうして、嫌だったことは知恵として残す。
だから、過去に戻るなら、私はいつも、あたたかいところへ戻る。

そこから現在へ温度を運ぶ。

「ある」を見つめる、から

今、あなたの中に嫌な出来事がまだ残っているのなら、それは知恵に変える好機である。
蓋をしたり、別の物語でごまかしたり、話題を巧妙にずらしたりせず、まっすぐに向き合うといい。

出来事の表面ではなく、その奥に潜んでいる本質、
本当は何が大切だったのか、
どんな気持ちを感じたかったのか、
どんな形に着地したかったのか、に手を伸ばす。

自分のことを丁寧に、大切に、感じ取り直す。
そこに自分自身が触れられたとき、暗闇は光へと姿を変える。

暗闇は、人のぬくもりによっていくらでも光に変えられる。
私はそう確信している。

ないものにするのではなく、あるものはある。
だから「ある」を見つめる。

自分が握りしめている

恋愛の相談を受けていると、
「いまは自分の好きなことをしているから、夫婦でも距離があって大丈夫だ」と言う人に出会う。

大丈夫である場合もあるだろう。
だが、本当にそれでよいのなら、内側に静かな納得があり、聞かれない限り、わざわざ自ら誰かに伝える必要はないはず。

多くの場合、その距離には起点がある。
忙しさや新しい楽しみで心をそらせば、その場は軽くなる。

けれど、起点にまだ名前がないままでは、重たい空気は形を変えてまとわりつく。

「あるのに、ないことにしている」限り、心のどこかで追い立てられる。
実際は、自分がそれを握りしめているからだが。

私が選ぶのは、宝探しのように源を掘り当てること。
何が起き、どこからずれ、私は何を大切にしたかったのか。

そこに名前を与える。
そのうえで、思考と行動の小さな癖をひとつ変える。

2度と同じ形で自分にあの想いを味わわせないために、次の一手を整える。
腑に落ちた出来事は、ふっと天に昇るように軽くなり、念として自分に居座らないし、握る必要もない。

あとに残るのは、自分の体温だけ。

私には、過去を並べて誰かを責める物語は少ない、というか、ほぼない。
嫌だった出来事も、源まで掘って知恵に変わったなら、もはや「嫌な出来事」ではない。

名前を変え、役目を終え、現在の私を支える糧になる。
気づけば記憶の棚には、湯気のようにやわらかな時間が多く並んでいる。

いつも手にとれるものは「一つだけ」

先日の食卓は、その積み重ねの確かな証明だった。

フルーツの甘さ、アイスを分かち合う感覚、コーヒーの香り。
何もしなくても安心だとわかる空気が、言葉より先に私たちを包む。

私はこれからも、嫌な出来事を保存して、自分を暗闇に落とさない。

温め直し、編み直し、あたたかさとして自分に積み重ねる。
あるものはある、と見つめ、光に変える。

そうして過去は重しにならず、今を自由に、楽しく、生きる力へと姿を変える。

最後に手のひらに残るのは、ただひとつ——愛である。

 

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りんごろ

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