
距離は、愛を弱めるどころか、むしろ揺るがないものにしてくれる。
子どもたちと離れて暮らして気づいたのは、そんな愛のかたちでした。
離れて気づいた、「親としての距離感」
子どもたちと離れて暮らすようになって、私は初めて「これから、どんなふうに関わっていこうか」を深く考えるようになりました。
そばにいるのが当たり前で、何でも手を貸せる距離にいたときには、考えもしなかったことです。
相手の自立を壊さずに、でもちゃんと愛を届ける。
その加減をどうやって見つけるか。
これって簡単そうでいて、すごく奥深い。
どこまで見守り、どこから手を差し伸べるのか——
これは、私にとって“新しい親の勉強”だった気がします。
子どもたちの世界に、招かれる瞬間
離れて暮らし始めて、何より嬉しかったのは、子どもたちがそれぞれ自分の世界を作り始めたこと。
まだまだ手探りで、ぶつかることもある。
困って連絡してくることもある。
それでも、自分の足で立って、自分のペースで広げていく世界。
ある日ふっと、その世界に私を招いてくれる瞬間があります。
「こんなことがあったよ」
「ちょっと聞いてくれる?」
そんなふうに、自然に声をかけてくれる。
そのやり取りがね、新鮮なんです。
私の日常に、子どもたちの色や音が混じってくる感覚。
何でもない一コマが、かけがえのない宝物になる。
離れる前の私たちは「共存」。
でも今は、「共鳴」している。
お互いに自分のリズムを持ちながら、タイミングよく響き合えるようになった。
長い関係を改めて育てるって、きっとこういうことなんだと思います。

自由も、離れることも、やさしさの一部
一緒に暮らしていた頃は
「こうしてほしい」
「こうなってほしい」
そんな期待や、暗黙のルールが、知らないうちにたくさん生まれていました。
でも、離れて暮らすことには不思議な力があります。
それらを一度、まるごと手放すことになるから。
すると、相手がどんな選択をして、どんな時間を過ごすのかを、ただ信じて見守れるようになる。
自由って、何でもしていいってことじゃなくて、一度手放したあとに、静かに戻ってくるものなのかもしれない。
だから私は思う。
離れる力の中に自由があり、自由の中に愛の力がある。
ニュートラルに戻る場所
それでも、離れていると心配になることもある。
「ちょっと手を貸そうかな」と、うずうずすることもある。
そんなとき、私が必ず立ち戻る場所があります。
妊娠していたときのこと。
まだ会ったこともないのに「会いたいなあ」とお腹に話しかけていたとき。
「無事に生まれてきてね」と、ただ祈っていた夜。
あの頃の私は、何の期待も心配もなく、
ただ命の誕生を待っていました。
そして、生まれてきた瞬間のあの衝撃。
「生まれてきてくれて、本当にありがとう」
全身で感じた命の尊さ。
この感覚を思い出すと、私はニュートラルに戻れる。
愛のど真ん中って、どこにも偏らず、安心できる場所。
そこに立つと、心がやわらぎ、力が自然に戻ってくる。
するとまた、子どもたちが“授かりもの”であることを思い出せる。
推しのような距離感
今日(8月8日)は、私の推しである乃木坂46の賀喜遥香ちゃんの誕生日。
推しを思うと、いつも感じるんです。
この距離感って、ちょうどいいなって。
ちゃんと距離を保ちながら、本気で応援する。
自分の理想を押し付けず、
その人がその人らしく輝いていることを、心から喜べる。
親子関係も、こういう距離感があったらいいよねー。
そうすれば、お互いにもっと自由で、もっと愛を感じられるはず。
センターが賀喜遥香ちゃん(かっきー)
最後に
愛と距離は、比例しない。
この確信は、子どもたちと離れて暮らしたからこそ得られた、私の宝物です。
離れる力は、自由の力であり、愛の力でもある。
そう思えるようになったら、人と距離ができることや離れることを、寂しさではなく、自由と信頼の証として受け取れるようになる。
これは、親子だけじゃなく、
あらゆる関係にも言えることだと、私は思います。



