
「この気づき、日常でこう使ってみたよ」って語り合える友と過ごす
何かのスイッチが入った夜
36歳のとき、母が突然この世を去った。
福岡の実家で、葬儀や手続きや片付け。
子どもたちも連れて、約1ヶ月を実家で過ごしていたある夜。
みんなが寝静まったあと、
私はひとり、母といつも一緒に寝ていた部屋で
「ここには、もう誰もいない。」と思い知った。
胸の奥が少しだけ「きゅっ」として、私は静かに、窓の外の夜空を見上げた。
「本当に、人は天に還るんだな。」
ふと、そんな言葉が浮かんだ。
死は終わりじゃなく
その人が生きてきた中で大切にしてきたことを
渡し切ることなのかもしれない。
母が私に渡してくれていたもの。
それは、生きている間は言葉にならなかったけど
- 自分の持つありったけの愛で「愛そう」とすること
- そこに一ミリの見返りもなく、ただ愛する喜びにあふれていること
- 「宇宙一の味方」でいることを、わざわざ言わなくても背中で見せること
その“在り方”だった。
このときはまだ、心理学の「し」の字も考えていなかったけれど、
今振り返ると、ここが私の中の何かのスイッチが入った夜だった。
大阪に戻った途端、身体が「もう無理」と言ってきた
福岡でのあれこれを終え
子ども達と大阪の自宅に戻り、
日常が再スタートした途端、
私の身体は、見事に崩れ落ちた。
もともと敏感肌ではあったけれど、
全身に湿疹が広がり、腫れて、ただれて、
最後は滲出液のようなものが出るまでに。
同時に、咳も止まらなくなった。
夜中になるとひどくなり、
咳のしすぎで吐いてしまうことも何度もあった。
いくつもの病院に行って、
いくつもの薬をもらっても、
一向によくならない。
ある病院では「自律神経失調症ですね」と言われた。
でも、その言葉は
説明というより「名前がついただけ」で、
どうしたらいいのかは誰も教えてくれない。
ただひたすら、かゆくて、苦しくて、眠れない。
日中は小さな子どもたちの世話と家事に追われた。
今思えば
「心のほうが先に壊れてるよ」というサインを
身体がまとめて請け負ってくれていたのだと思う。
でも当時の私は、そこに気づく余裕もなく
願うことはひとつだけ。
「このしんどさから、早く出たい。」
子どもたちのかかりつけ医がくれた、「大変だったね」の処方箋

そんなとき、
最後のつもりで行ったのが、近所の病院。
専門の大きな病院ではなく、
子ども達のかかりつけの、あの“いつもの先生”。
診察室で、私はいつも通り
患者として椅子に座っていた。
先生は、いつもと変わらない表情で
でも子ども達に接するときと同じように
目を見て、丁寧に、理解できる言葉で話してくれた。
「かゆいのも、咳も、どっちもつらいよね。
まずは、咳から治していきましょう。」
そして、静かにこうも言った。
「大変だったね。もう大丈夫だからね。」
その瞬間、
長いあいだ閉まっていた扉の鍵が
「カチッ」と音を立てて外れたような感覚がした。
胸の奥に
ほっとしたぬくもりがじんわり広がり、
血が急に全身に流れ出したみたいに、
目に映る景色には色が戻ったように、一瞬で感じられた。
ずっと我慢してきたものが
一気に崩壊して、涙が止まらなかった。
母を突然亡くし、
悲しんでいる暇なんてないまま、「お母さん」を続けていた私。
先生の一言でやっと、
自分の悲しみを「悲しみ」と呼ぶことを、自分に許せたのだと思う。
そのあと、先生が出してくれた薬は
それまでどの病院でも効かなかった症状に、不思議なくらいよく効いた。
咳はみるみるおさまり
全身の肌も、元に戻っていった。
咳のしすぎで
あばら骨にはひびが入っていたことも
そこで初めて知ったが、
それさえも、丁寧に説明してもらえて、
「ああ、やっと分かり合えた」という、
体からの声がハッキリと聞こえ、心底安心できたのを覚えている。
そのとき、私ははっきりと理解した。
これは身体だけの問題じゃない。
心の悲鳴だ。
別の病院で告げられた
自律神経失調症という言葉と
先生の「大変だったね」というひと言をセットで思い出すと、ようやくストンと落ちた。
「心の悲鳴」から、心理学の扉へ
同じようなことが、
もしまた起きたとしても
今度は、ちゃんと自分で自分を支えられるようになりたい。
そして、子ども達や大切な人達が
もし、こんな状態になったら
そばで支えてあげられる存在でいたい。
その思いが、私を心理学へと連れて行った。
「私の心の中で、いったい何が起こっていたのか」
それを確かめたくて、私は心理学の扉を叩いた。

箱庭とゲシュタルトが教えてくれた、「感じないようにしてきた私」
心理学で「知らなかった自分」に最も気づかせてくれたのが、箱庭療法とゲシュタルト療法。
箱庭療法では
おもちゃや小さな人形たちを並べていくうちに
自分でも見たことのない「私の内側の風景」が砂の上に浮かび上がり
「私、こんなふうに感じてたんだ」
そう客観視しながら
ずっと押し込めてきたものと対面した。
ゲシュタルト療法では
本当は言いたくて飲み込んできた言葉や
奥に押し込めてきた感情たちに
一つずつ、ちゃんとマイクを渡していくような時間を過ごした。
- 何を叫びたかったのか
- 何を感じないようにしてきたのか
- 何に一番、傷ついていたのか
知らないふりをしてきた自分が、少しずつ輪郭を持って現れた。
気づいたときには
「心の学び」とは、「どう生きるか」に直結するものになっていた。
「私がしたかったことは?」レールの上でふと立ち止まる
学びが進むと、テストに受かれば
外部の方へのカウンセリングを担当したり
先生のカリキュラムのサポートに入ったりと
だんだん「外向きの活動」が増えていった。
ある日、心理学を教えている教室で
私は先生の後ろに立って、サポート役としてその場にいた。
講義を見守りながら、ふと
「なんで私、これやってるんだっけ?」
という声が、心の中で小さく響いた。
「そもそも、何で私ここに来た?」
そう問いかけてみたとき
返ってきた答えは、とてもシンプルだった。
「私は、私の心の奥を知りたかっただけ。」
もう一人の私が、はっきりと首を振った。
私にしかできないことがある。
それは、ここで“誰かの代わり”をしていることじゃない。
そのとき、静かな確信とともに、心の奥で霧がふわっと晴れていった。

心理学というレールと、ホームに立つ自分
あの頃の私は、
「心理学」というレールの上を、ひたすら真面目に走っていた。
資格、講座、テスト、カリキュラム、
全部が“レールの上”にあるもの。
でも、電車のレールって、
必ずどこかで駅にたどり着くようにできている。
各駅停車でも特急でも、
いくつかの駅を通過していっても、どこかの駅では必ず止まる。
そこで人は降りて
自分の家に帰ったり、
仕事に向かったり、
誰かと待ち合わせをしたりする。
レールの先にあるのは、いつだって「日常」。
ずっと心理学のレールの上を走り続けるんじゃなく、
ちゃんとどこかの駅で降りて、家に帰る。
そして、誰かと話したり、交わったりしながら、日常を生きる。
そのうえで、
「またどこかへ行きたい」と思ったときに、
自分で方向を選んで、また電車に乗ればいい。
人生って、そういうもの。
やっぱり、日常が真ん中。
その感覚が、はっきりと自分の源に沁み入った。
あの日、私は
「心理学というレール」から、一度降りることを選んだのだと思う。
日常こそ、本当の“心の現場”
そこから私は、いったん“学びの場”から距離を置いた。
インプットを増やし続ければ
知識としてはどんどん賢くなっていくかもしれない。
でも、学んだことに
自分の体験や自分の言葉が宿っていなければ、
それはまだ「本当の意味で自分のもの」にはならない。
私が本当にやりたかったことは、
日常の中で、どれだけ活かせるか。
どれだけ、本来の自分から離れずに生きられるか。
様々なワークシートより、
子ども達や夫婦、大切な人達との対話、
一人で夜空を見上げる時間。
そういうところにこそ、“心の学び”の本番は転がっている。
私はそこで、自分の人生を存分に生きたくて、レールから降りることにした。
「どう活動に生かすか」より前に、話したいことがある
心の学びの場で出会った仲間は、たくさんいる。
みんな真面目で、一生懸命で、
「これを仕事にどう生かすか」という話もよく聞く。
それはそれで素晴らしいと思う。
でも、私が本当に話したいことは、そこじゃないんだよね。
「こんな講座に行きました」よりも
「今日ね、こんなことがあってね、、、」
というあなたについて、あなたの日常について対話したい。
「こういうとき、心がまだグラグラしてさ、」
みたいな、きれいにまとめなくていい本音も出し合えたりしながら。
心理学というレールの上で
「どう活動に活かすか」を語り合う仲間ではなく、
レールを一度降りて、
ホームに立った自分の足で、
自分の言葉で、自分の日常で対話したい。
今の私が心からほしいのは、そんな時間。

日常が本番、日常で実験、それが人生
母を失った夜空の下で受け取ったもの。
身体が壊れかけたあの時期に知った、心の悲鳴。
先生の「大変だったね」というひと言に、
やっと「私はつらかった」と認められたこと。
心理学というレールの上を走り、
そして一度降りて分かったことは、
日常が本番。
日常で実験。
それが、人生。
私は、「心の学び」を特別な時間や場所に閉じ込めたくない。
そこでだけ通じる「共通言語」だとも思わない。
心の学びは、習い事のようなもの。
暮らしの中で、何度も何度も試しながら、自分の道を創るきっかけになるもの。
日常が本番で、
日常がいちばんの“心の現場”だとしたら
一人で実験するのもいいけれど、
ときどき同じホームに集まって、
「この気づき、日常でこう使ってみたよ」
と語り合える場所があったらいいなって、長い間思ってきた。
そんな思いから
Little Sky オンラインサロンというコミュニティをひらいてます。
それぞれのペースで日常を生きながら
ときどき空を見上げて
「今こんな実験してるよー」
「これで望みが実現したよー」
と、内なる自分の本音で対話する拠り所。
少しでも
「一緒に実験してみたいな」と思ったときは
Little Sky の扉を、そっとノックしてもらえたら嬉しいです。
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