この出来事は起こらないでほしい、とか
このように起きてほしい、とか、
自分の思う出来事の起こり方を望むのは
ある意味、コントロールであり、
そう思えば思うほど
自分の小さな頭の中で考える程度のことしか
起こらないのかもしれない。
こうなったら嬉しいな!と思ったら
あとは天にお任せした方が
思いもよらない想定外から、ものごとは起きてくる。
だから人生は味わい深くなる。
そのように感じた出来事がありました。
コロナの風
我が家にもコロナの風が突然やってきました。
PCR検査で、陽性反応が出た者、陰性だった者。
もうね、何が原因かなんて分からないし
通勤や通学でうつったのだとしたら、防ぐのは難しいと思いました。
幸いにも、みんな症状はなく、食欲旺盛。
でね、
事実としては
いろんなことを言われたり
ここぞとばかりに怒りをぶつけられたりもしました。
けども、誰が悪いとか、この人が犯人とか、
落ち度があったとか、ないとか、、、
何かの論破のために起こっていることではないと思うので
ただただ傍観するしかできません。
同調できないから
反論で奮い立つこともありません。
そして、その方々に対して私が理解したことは
苦しいんだなぁ、、、
誰かに吐きたかったんだなぁ、、、
ということだけでした。
これが正しい!を持つと
それ以外の道は受け入れ難くなり
より頑なにもなる。
そんなことを見せてもらいました。
パラレルワールド?
その事実とは別の次元(そうとしか思えない)で
あったかくて、ありがたすぎる事も起こっていました。
医療従事者の方々や保健師さんたちの
温かな寄り添いと言動。
友から次々に届く食材たちや
そこに付いてある優しいメッセージ。
毎回、自然に涙が溢れました。
二極化
二極化が進んでいる、とは聞いていたけれど
ここまで違うんだ!と
私たちは、体験させられたように思います。
その後、
誰かを貶めたかったんじゃない、
心からそう思っているんじゃなかった、と謝られたりもして。
恐れを大きくすることも
自分にとって楽な捉え方をするのも
自分が選べるし、選んでいる。
この違いによって
起こす言動も、起こる出来事も
誰とつながり、深めていくのかも変わってくる。
with コロナ
「社会的弱者」と言われたことも
幼少期から病人に囲まれて育った私には
慣れた言葉であり、
事実そうかもしれないし、
そこにどんな思いがあるか知らないけれど
むしろ、どんなことをしてきても、言ってきても
私たちの未来にも人生にも
何の影響も一切ないし、
私の言動も全く変わらない、
と強く意識する機会にもなりました。
with コロナ。
私たち家族は
この期間をどのように過ごしていくか、
これをマイナスだと思わなければ
自分の現状にマイナス自体ない展開しか起こらない。
嬉しい届きものに感謝しながら
ワー、キャー叫ぶ、単純明快な我が家が
この時の思い出として残るように思います。
同じような状況の方々もいらっしゃると思います。
この時間も、人生のかけがえのない時間。
大切に温かく過ごしましょ。