生まれ故郷の小倉に帰ってきました。
姉や叔父と久々にゆっくりと話しができ、母のお墓参りにも行け、
親友にも会え、
自分の心と体の声をめーーーいっぱい聴いてもきました。
心と体の声に正直になるということは
少し難しいことかもしれないと思う。
でも、
やっぱり自分の心と体の声は
聴いてあげたいし、聴いてあげてほしい。
わたしくらいの年齢になると
周りには病気になる人が、、、案外いるんだな。。。
わたしも体を壊して、自分を見つめなおしてきたひとりでもある。
そのひとつの原因は
自分の心と体の声を聴くより、誰かの声を選んできたこと、
世の中で良いと言われている情報を選んでしまったこともあると思う。
いろんな形で
自分の魂は、気づかせてくれようとする。
ほんっと、自分のいちばんの味方なんだなと思う。
今 思い出すと
母は最期に
「好きなことをすること」
そんな話をよくしていたなと思う。
当時は「母は 好きなことをこれからやりたいんだな」
くらいにしか思っていなかったけれど
わたしへのメッセージだったと思うんだよね、今は。
すべて愛だなぁと感じて、受けとってます。
長男が2日で20歳になりました。
大人をひとりこの世に送り込んだよ♡
子ども達に対して思う。
「好きなことをしたらいい、好きに生きて」と。
そして
たくさんのありがとう、も。
きっと母も同じだったんだなーと思うんだよね。
わたしは十分に愛されてきていて、
ほんっとに情けないけれど、
それをそのまま受けとる力が 備わってはいなかった。
愛に彷徨い、求め、ないと嘆き、感じてなかったんだ、と。
受けとっていたなら、もっと話せたこともあったのかもしれない。
疑いや心配をする時間があるなら
受けとる時間にすればよかったなと
亡くして気づくって、悲しいけど
今は、そのときはそうすることしかできなかったんだと
未熟だった自分も責めずに
そのときのわたしの悲しみも味わい、そのままを受けとめている。
自分をも疑ったり、心配したり、責めたりする
時間があるなら
まず自分から、
側にいる人から、
愛を受けとり、与え合い、分かち合うことにした。
そして
母も
家族も
その他の人も
わたしが自分を責める時間にすることを
望んでいる人などひとりもいない。
それは
わたしが子ども達に
そんなことを望んでいないから分かる。
受けとり、与え合い、分かちあって
わたしは生きたい♡
それがわたしの心と体の声。