はなたれる
何かを
無理に手放そうとしなくても、
真剣に
自分の人生を
生きようとするとき、
自然に、
ほどけていくものがある。
不意にかけられた
誰かの「可哀相だね」という言葉が、
もう自分には馴染まない。
そのような言葉のある場所に
居たくないだけだったのだと、
気づいていく。
温かな「与えたい」という想いが
人にはあることを受け取って
その場所で生きていく。
そうやって、
悲しみの形は
すこしずつ、変わっていく。
心配も、
無理な期待も、
誰かの目も、
もう、いらないんだと
思える日が来る。
そのかわりに残るのは、
静かな信頼と
呼吸のようなあたたかさ。
真剣に生きると、
“足す”ことより
“はなたれる”ことの方が
増えてくる。
わたしも今、
少しずつだけど
それを、
感じはじめている。
4ever
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