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自分も相手も責めなくていい方法のひとつが 「愛する」

愛するとは?

たとえば、愛する対象の人がいて
その人が自分の思うように愛してくれなかったら
愛する気持ちは変わるものなのだろうか。
 

  

愛する気持ちは
自分の中のいちばん温かなところから生まれくるものだから
自分のものだよね。

誰に左右されることもないし
自分の感じるままに大切にしていい。

 

相手という対象がいて
なぜか うまくいかないと感じるのならば

それは
愛するとか、愛したいとか、愛が足りない、愛されたい・・・
そのようなところではなく

それぞれに【生まれきた人生】があり
大切にしたい道や、成し遂げたいことが 在る。

それを含めて、
相手を見つめてみてはどうだろう。

 

「この人が大切にしているのは、ここなんだな」と
理解してみよう。

自分も相手も責めなくていい方法のひとつが
「愛する」だよ。

 

  

わたしには以前、
想いを寄せてくださった方がいて

それでも
その方と一緒に生きるイメージが
自分にはできなかったので

お付き合いをするということは
お断りしたのですが

その時に
かなり直球な言葉で、
キツイなと感じるエネルギーを浴びました。

  

悲しかったのだろうと思うし
苦しかったのかもしれない。

 

「愛する」という
温かな自分の場所から離れたその方は
鋭いナイフのようになっていました。

  

「愛する」という気持ちは
自分の中で育んできたものだから
カタチを変えたり、
昇華するのには 時間が必要だとは思う。

けれど
鋭いナイフを選択したのは
「その方自身」であり

自分が放った言葉たちというものは
最終的に、
自分に還ってくるようになる。

相手を刺そうとしても
苦しいのは自分で
自分をメッタ刺しにしてしまう。

  

悲しみを味わい、
苦しみを感じ切る方が
自分の正直な気持ちと 
共に在るということなんだよね。

そんなときこそ
自分だけは、
自分の温かなところから離れてはならない。

自分を失くしてしまわずに
気持ちを押し殺そうともせず
我慢もしないで

だけども「鋭いナイフ」は選択せずに
自分の最大の味方になってあげよう。

親友が寄り添ってくれるように
自分に寄り添おう。

 

「愛する」だけが尊いのではなく
「悲しみ」も
「苦しみ」も
「怒り」も
「寂しさ」も
自分の尊い気持ちで
悪いことでも恐いことでもない。

自分から生まれきたものたちは
たとえそれが味わいたくない気持ちであっても

今、それらが自分に湧くということは
そこには絶対になんらかの意味があるから

自分の幸せのために
味わうことから逃げないでほしいなと
わたしは思います。

  

それも「愛する」ことなのだから。

  

 

こちらも参考に聞いてみてね。

  

  

りんごろ

最後まで読んでくれてありがとう
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