2025年に入ってから、自分でも驚くほどに【これまでの思考】でいられない。
言い方を変えるなら、これまでは【ちょっと無理をしていた】のだと思う。その’ちょっとの無理’が自然に自分の中から抜けたことにより、身体にも異変が起きた(顔中と体に湿疹&頭痛と微熱が続く)。
習慣って怖いよね。
こうして身体にも無理を覚えさせているのだから。
でも身体って、意識できるように現してくれる。ありがたいよね。体調などのしんどさはあっても、「本当はどうしたいの?そこに寄り添うよー」というメッセージは必ずくれる。この身体さんには、50年余り無理を強いたと思うのに。
だからこそ、もっともっと優しくしてあげたい。そんな気持ちが2025年の私に心底根付いた。
自分の心に深く刻まれること
お正月、久々に子ども達6人が仙台に来たから、賑やかな時間を過ごした。お笑い番組を見ながら大声で笑ったり、ご飯を一緒に食べながらいろんな話をしたり、お参りやショッピングに行ったり、朝からサウナに行ったり、温泉に入ったり。
「何も起きていない」というありきたりの日常は、当たり前ではなく、【今日も何事もなく1日を終えました、という感謝】だと改めて感じた。
望んだ温もりの中に、家族と一緒にいるということが。
雑談やくだらない話で大笑いする時間もとても愛おしかった。何を話したか、より、そこで何を感じ、どのような状態になったか。それが私の温もりとして何層も積み重なっていき、多幸感が安定し、ブレない自分を創るから。
お正月の初売りに行くって、平和すぎじゃん!!!
わざわざ大勢の人がいるところに潜入するなんて、子ども達がいなきゃ、やらないことだ。
自分だけじゃやらないことも、誰かとならやれる。それが、自分の枠をふっと開いてくれるんだよね。だから面白い。ただ、行動するとき、相手に合わせたり、頭で損得を考えたりして動くと、その時は楽しくても後から疲れがドッと出たりする。最初から乗り気じゃないんだから、つまんないというが結果が現れるよね。下心には、下心程度の結果しかやってこない、ってことだ。
私は、自分の心に深く刻まれることがあるとき、(出来事はどんなことでもいい。この先の自分の記憶に良い思い出として残るようなこと)、その時の感覚や状態が今後の自分に大事なキーポイントになると覚えておく。
そんな時の記憶の残り方は、ビジュアルとしてシーンは色濃く、会話の中の単語が深く刻まれる。会話を覚えているというよりは、単語を覚えている感じ。昔の記憶でもビジュアルが色濃かったりするから、何時の記憶なのか分からなくなる時もあったりする。感覚や状態を維持したい場合は、そのシーンを思い出せばいい、ということ。
今回のことで例えると、私にとっての目に見えない絆を温かく捉える感覚や状態。
この感覚や状態でいる時には、思いがけないチャンスに巡り逢えたり、素敵なご縁に恵まれたりする。要は、この感覚や状態を何があっても長く維持しておけばよい、ということ。そうしていたら「どのようにしたら?」を考えなくても、それを含めた天からの使命がやって来る。
今の世の中は、「どのようにしたら?」で溢れている。
でも、自分がそれをやれる状態になっていたら、いつだってやれるんだと思う。やりたいか、やりたくないか、が大事で、どのようにしたら?は選択するもの。
「あの人ならできるよね!」なんて、その人のことをそんなに知らなくても分かったりするじゃない? 自分がやりたいことをやれる状態になっておくこと、そこへと自分を磨くことが必須だよね。
「どんな状態になっていたら最高ですか?」って、本当にいい質問だと思う。私は常に自分に使ってると思う。
大人になる、とは?
1月は、娘の成人式もあった。
着物姿を見ると、「ここまできたんだなー」って感慨深い気持ちが溢れた。本当に本当にキレイだった。
娘はこの日をとても楽しみにしていて、自分がどんな姿、状態でいたいか、を固く決めていた。
だから、
そうなるように、日々、磨いてたよね。
自分を磨くだけじゃなく、そうなるように、お願いできる人にはお願いをし、ワガママと言われようと自分に正直に、全くブレずに、自分の中の創造を相手に理解できる適切な言葉にして伝えていた。
カタチにするって、こういうところが大事だったりするよね。
遠慮とかいらず、頭の声で淀まず、自分に正直に、それを相手に理解できる言葉にして伝える。伝わらないのは相手のせいじゃなくて、自分の言動のチョイスか?って振り返れる余白も必要で。
これが大人になるということで、娘は独り立ちしたんだなぁと、またまたジーンときてしまった。。。
独り立ちしていれば、共感してくれる人は目の前に現れてくる。
誰だって大事な人の望みなら、尚更、「私も手伝いたい」と思うよね。
遠慮や気を遣ったり、迷惑をかけないようにする、とか、相手に合わせることを美徳だと捉える場合もあるけれど、それは「独り立ち」とは離れてるように思う。言い方を変えるなら【独りよがり】かも。本人はとてもエネルギーを消耗してるんだけどね、本質は伝わりにくいね。
これまで以上に。
大人になるとは、年齢を重ねるということではなく、自分自身の望む状態を明確にし、それを実現するために素直に行動できるか、なんだろうね。
無理をし続けるのではなく、自分に正直になって、身体や心の声を大切にすること。 そして、自分の想いを適切な言葉で伝え、共感し合える人たちと関わりながら、自然と人生の流れを創り出していく。
独り立ちとは、誰かと一緒を否定するものではなく、自分を大切にすることで、周りとのつながりが より優しく、強いものになることだね。大切なのは、「どのようにしたら?」と頭で考えすぎず、「自分がどんな状態でありたいのか?」を常に問い続けること。
そんな1月を過ごし
私はこれまで以上に自分の感覚や直感を信じ、より心地よい生き方を選ぶことしかできなくなっちゃった!
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「…って、結局いつもそうやん!って自分でツッコんでおくねw