何をしているか?じゃなくどう在るか?
先日、私の仲間に
「お母さんの仕事(の内容は)、全然知らないんです!」と
堂々と言っていた長男。
身体(健康)のことやパートナーのことは
気にかけてくれるし、
気持ちに寄り添うことも忘れないけれど
それ以外は【ご自由に】というスタンス。
何をしているか?じゃなく
どう在るか?なんだねぇ
考えたら私は
いろんな学びに時間もお金もかけてきたけど
それらを子どもたちに伝えてはいない。
子どもたちが学びたいことを選んで
体験としてやりたいことを
自分の人生に招き入れたらいいと思っているから。
これまでの学びは
私は、私が子どもたちにやってきたことや
人生の大半で自分が選んで体験してきたこと
を
自分の腑には落としているが
本当にそれでいいのか?
人としてどうなのか?
腑に落としてきた以外で
その体験は他にも何かを伝えてはいないか?
私以外の視点も感じたくて
学びを選んで、探求してきたように思う。
知恵にすることを取りこぼしてはいないだろうか?的に
貪欲になっていたかも。
外で学ぶんじゃない、内々の学びが大切
これからも人生の体験は
死ぬまで学びだとは思うけれど、
外でのインプット的な学びを
大切な人たちに伝えることは多分ないだろう。
逆だ、私は。
内々で体験し、学んだことを
外の世界ではどう表現しているのか、
ただただ知りたいし、見たいし、感じたいし
私は、私を使って表現したい!!!
私にとっての学びや答えは
身近なところ、内々にある。
土下座だって、なんだってやれる!
上の写真は8年前くらいのもの。
自分の目的のために土下座もやる我が子たちw
当時、元パートナーが「仕事が忙しい」と
お願いをしても、何をしても
一緒に時間を過ごせず、対話もなかったから
パートナーだからこそ
共に過ごせる時間が少しでもほしいし、
対話をしたいんだと
私の声を留めるため、
彼の時間を一度止めるためにやった土下座を 見られていたのね。。。
その晩に真似られた!!!
コントか!!!
でも、それでいい。
本当にやりたいなら、人は何だってやれる。
それが後悔のない生き方かもしれない。
避けるとか、怖いとか、嫌われたくないとか
相手がしてくれないとか、分かってくれないとか、羨むとか、
頭で考えるより
まだまだ、やれることはある。
すべては、ここに生まれ来た私に
したいことをさせたかった、のよねー
子どもらに真似られると
必死でやったこともコントにしか見えなくて、超ウケた!
本人にとって怖いと思うことなんて、そんなもんかも。
これは【客観的に見たらコントだった】という記念写真でもある。
主張しなくても
見てくれている人はいる。