身近な人ほど難しい。
でも 分かち合いたい、絆を深めたい人に。
そのきっかけをつくれたら嬉しいな。
自分の住む街に友がやって来た!
自分の住む街に
全国のいろんなところから友が来て
一緒にたこ焼きを頬張ったり、LIVEに行ったり、お寿司を食べながら
【今日のしつもん】に答えてワイワイ遊ぶ。
こんな幸せは、他には変えられない。
昔のわたしは
親にも友達にもまわりの誰にも
自分のことも本当の気持ちも言えずにいた。
病人の多い家庭だったから
誰かに言ってどうなるものでもない、
同じ境遇の人もいない、と
自分のことを言わないのは当たり前だった。
何より
誰かに話すことで自分が『孤独』だという
事実を知ることが怖かった。
人への頼り方やお願いをすることも
どのようにやるのか分からなくて、
自分の気持ちは自分で折り合いを付けていくしかなかった。
逆に言えば、
だから、言葉にならない気持ちや
行き場のない気持ちを抱えることが理解できたし、
自分との対話も深められたし、
人から相談を受けることが、
小さな頃から絶えなかったのだと思う。
それが、わたしの人とのつながりだった。
ひとり者同志、仲良くできたら嬉しい
結婚したら
そこから解放される!と勝手に思っていたけれど
言葉にしていないことは伝わらないし、
育んでいない距離は縮まらないことを思い知る。
きちんと『自分は孤独だ』と認めることで
その世界を変える!と心底望めるようになったし
関わりを深める言動を自ら行うようにもなった。
役に立とうとすることではなく。
子どもたちがわたしの元に来てくれてから
わたしの世界により光が灯されるようになった。
彼らも【ひとり】でこの世界に来たから。
ひとり者同志、仲良くできたら嬉しい、と純粋に思ったから。
わたしは家族に教えられた。
みんな【ひとり】なんだと。
【ひとり】でやって来て【ひとり】で還ると。
破壊と再生、
死は別れじゃなく、感謝と新しい世界への扉がある。
人生は着実に時間と共に進む。
止まっていられないものなのだ。
だから、限りある人生の時間の中の
自分に起こる出来事は
すべて幸せのためだと思うようになった。
まわりの笑顔に励まされたり、
分かち合えることは何よりの宝になったし、
もっと仲良くなりたいとか、
絆を深めたいという気持ちに自然に素直になれた。
そこにつながる行動を自ら起こそうとするし
適当に人に合わせたり、
役に立つことで仲良くしようとせず、
期待もしないし、見返りも求めず、
正直で誠実で、自分のままでいようとする。
その自分で、
人とつながりたいと心から思うし
それで共に過ごせることに、ものすごく感謝を感じる。
今は、そんな自分で生きることが喜び。