憧れは「なりたい姿」への近道
幼い頃から憧れがあった。それは本や漫画、テレビの中に。
その憧れを追いながら、私なりに「憧れになれるとしたら?」というストーリーを考え、人形に投影させて遊ぶことが好きだった。そのうち人形で遊ばない年齢になると、憧れの人の考え方、言葉、行動、服装などを実際に真似るようになった。
現実に側にいる人や見ることのできる距離の人が憧れの場合も もちろんある。母の子への愛は、娘として嬉しかったと同時に、私の憧れでもあった。結婚願望はさほどなかったにもかかわらず、子どもは欲しいと強く望んでいたのは、母の愛の影響でしかないと思う。
そうして私は憧れを辿り、特徴を自分なりに解釈して真似ながら、自分を育ててきた。
これまでも常に憧れの人がいたし、今でも憧れの人はいる。常時2,3人はいるんじゃないかな。これはもしかしたら「次女的発想」なのかもしれない。生まれたときには、自分の先を行く姉が必ずいてくれたから。だから嫉妬とか抵抗はほとんどなく、憧れがいるのが当たり前で今も生きている。
そんな「憧れたち」がいて良かったことは、自分を客観的に見れるようになったこと。「あの人ならどう考えるかな?」と想像するし、考え方も言葉も行動も観察して真似してみる。そして、憧れの人と今の自分の違いや共通点を見つけ出し、自分の課題が探れたら、そこを避けずに逃げずにひとつひとつ向き合うようにしている。どう行動していいのか分からない場合は相談するし、そのときに言われたことは、まずやる。
自分の課題と向き合う中で、どっぷりと落ち込むことも、比べることもある。そのときは時間がかかっても、とことん落ち込ませてあげる。自分の視点や世界観を変えることは難しいことだけど、頑固にならずに、素直にいこうと心がけている。なぜなら、頑固は何も進まずに退化の道につながるから。。。老化は受け入れるけど、退化はしたくないよねぇ
ひとつひとつの課題を乗り越える度に幸せは膨らむ、豊かさは待っている。それをこれまでの人生体験で教えられてきた。だから、「ここでやっとこ!」って逃げずにいられるのだとも思う。
憧れって、「自分がなりたい姿」に近づくために、違う世界や新しい体験をさせてくれる応援者であり、味方でもある。決して自分の力じゃ辿り着けなかったところに連れてってくれる。「え?ここにも道があったの?」というように優しく差し出してくれている感じ。だからその人たちの力を信じて、見えていない世界を見ていきたいし、この自分の体験をシェアできる仲間を作りながら、まだ見ぬ自分にチャレンジしていきたい。
憧れは「なりたい姿」への近道でしかないと、つくづく感じている。
一緒に時間を過ごすことが大事
GW後半、マツダミヒロ夫妻とみやじしげる夫妻と箱根で旅を楽しんだ。
こんな関係いいな〜
と憧れるご夫婦と一緒の時間を過ごすと、ライフスタイルや生き方、我々夫婦にとってのヒントがすごくある!!!これからの時代、時間やお金、エネルギーを注ぐなら
コロナにより事情が変わり、zoomなどが発展し、人がひとりで自分を磨いていくということは、パソコンやスマホでもできる!と多くの人が感じていると思うが、それは同時に、学びの内容やそこに記された文字以外で、受け取れる価値というものが実はものすごく多くあるとも伝えていると私は感じている。
よく考えると、教えてもらうことって少しの時間しか一緒に過ごさないよね? そして、ある一定の時間は作り込むことができる。だけど、暮らすように過ごすことは作り込めない。その人が何を大切にし、どんな行動をし、普段はどのように過ごしているか、何を食べてエネルギーにしているか、どんな人とご縁を深めているのか、何を気づいたのか、どのように休んでいるのか、素のその人を感じられる。これが私にとっては最大の価値なのだ。
何かを成す人にも当たり前にベースはある。そのベースこそ暮らしであり、衣食住だったりする。自然で言うと大地。その土壌がその人の英気を養っているとも言える。土壌なくして力を出そうとすれば、気合いだけでいつかはポキンと折れる。・・・と、考えたときに、持続的である土壌を私は感じさせてもらいたい=一緒に過ごしたい!
マツダミヒロ夫妻は、私の憧れのパートナーシップを生きるおふたり。世界でいちばん小さなパートナーシップという輪が家族を作り、その輪の育て方が、家族との育み方や友、仲間、コミュニティとの育み方にも活かされていく。そんなおふたりと一緒に過ごせることは、我々夫婦がこれからやることを見つけられることでもある。今の現状の中でふたりであれこれと考えるより、一緒に過ごすことの方が我々の土壌を養えるヒントが沢山あるんです!
何かを成そうとせずとも、足元の土壌を育てることで、我々の純粋な想いが豊かな土壌で種となり、それが芽を出して、すくすくと育っていく。そんな自然な生き方を見て感じて真似ることができることが、どれだけ素晴らしい価値なのか!!!感謝でしかない時間を過ごさせてもらいました。
いつかお返しのできる自分になりたーーーい!もしくは、これらの経験を必要な方々にお渡しする自分でありたーーーい!と切に思いまする。
憧れが目の前に現れたとき
約10年前、私はマツダ夫妻のパートナーシップにとても衝撃を受けた。何が衝撃だったのかというと、憧れのパートナーシップが実在していたこと。物心がついた頃から憧れ続けたパートナーシップを育む人は何処にもいなくて、海外、もしくはドラマや漫画、映画のような架空の中にしかないと諦めてもいた・・・
「だったら自分で作ったらいいんじゃない?」と思い立ち、前の結婚生活では試行錯誤したんだが、やればやるほど力みが出て、空回り、噛み合わなくなる・・・ちーん(涙)。 まだまだ未熟だったんだと思うし、憧れを知らなすぎたんだとも思う。闇雲にやってもダメだね。押し付けだったかも。。。
私にとって憧れのパートナーシップとは、夫婦仲が良いだけではない。ひとりでも十分に幸せで、依存のような寄りかかりの必要がなく、幸せを分け与えられる余裕のあること・自立していること。 ふたりでいると、3人分にも、4人分にも、何倍分ものパワーにもなるような、互いの力を引き出し合えたり、ふたりで創りたい未来を築ける関係。 感情は分かち合い、悲しみは半分になるどころか、笑い飛ばせるようになれたらいいなー!みたいな。
こういうこともミヒロ夫妻を見て、実際にイメージしていいんだ!って嬉しくなったこと。この体験は人生で大きかったと思う。なんせ、諦め半分の世界観だったからね。。。(遠い目)
ミヒロ夫妻は、小さなことでも対話し、毎日の日常の然もないことも大切にし、共有し、お互いが宇宙一の味方だと、自然に伝わってきちゃうんだよね。 「うちの夫婦は仲が良いのよ」と言う人もいるけど、そういうことを言うとかじゃなく(もちろんおふたりは言わない)、心に沁み入ってくる感じ。それがまた気持ちいいんだよねー
私のように目の前に「素敵!!!」と思う憧れが現れたとき、ドキドキラブラブと同時に、自分へのメッセージが来ていると考えるといいと思う。そのメッセージとは、「君の人生、このままでいい? こんな素敵な体験も起こせるんだよ!」ということ。
人生って、望んだように動いていくものだと思うから。そして何度も言うけど、憧れは「近道」だよ。
結果は天に任せて
憧れが現れたら、最初にやることは「真似」だよね。ものすごく観察してやってみることが大事。パートナーができてから、とか、そーゆーのなし。真似はいつだって、何処でだってできるし、やれば、やった人にしか感じられない気づきがある。真似だけして気づきがないのは、やっていないことと同じ。。。むむむー
私が最初に真似したのは、「対話」。ありがたいことに当時の私は、奥さまのWAKANAさんのお仕事のサポートをさせて頂いていたので、ミヒロご夫妻と対話できる機会も度々あり、おふたりの対話も間近で聞かせていただいてた。
そこで気づいたのは、「対話」と「会話」の違い。「対話」とは、言葉を交わすだけじゃなく、自分の内側と相手の内側がまずつながっていることから始まる。たとえ、心がつながっていないと感じても、そのままを受けとめて、相手を信じて、自分は心を開いて待ちながらも話すという姿勢。「会話」は互いの言いたいことや用件を話すこと。
私は当時、元パートナーと心からつながろうとしていないことに気づいた。ガーン!自分やん!みたいな。まずはそこから変えました。←「心を閉じる原因や要因は相手にあった!」などは持ち込まず。
始める時は「純粋な想いの種」でスタート、です。結果は天に任せて。その方が面白いでしょ!
ミヒロ夫妻がお付き合いを始めて、結婚するまでに、互いにされた質問の本があります。
これはもうボロボロになるまで、そして、今でも読み返している本。私のバイブルかもしれないw
質問が面白いのは、時を経て問うても、毎瞬なにかしらの気づきがあるところ。この本もオススメでーす。
なんだけどー、「真似」はあくまでもテクニック。そして、おふたりがされた質問にどれだけ答えても、思考と行動が変わらなければ、現実は変わらない。
考えたらシンプルなことで、これまでの思考により今の現実があるのだから、その思考を放して、新しい思考を取り入れない限り、同じことを繰り返しちゃう。だから、質問に答えても、更に「本当に?」と自分に聞いてみてね!
環境を意識する
私はこの10年の間に、離婚と再婚をした。
離婚するとき、「円満に別れたい」など、考えてもいなかった。そんな気持ちよりも、「純粋な想い」で対話を重ねることが大事だった。それが結果的に、今でも心地よいご縁をつくってくれたんだと思う。
再婚の出逢いも、運命か?と言えば運命なんだろうけど、「こんな人と出逢いたい!」と考えたのではなく、こんな風になりたい!こう生きたい!とイメージして、自分の未来を純粋にワクワク望んでいたら、その延長線上にパートナーがいた!という感覚だった。
憧れを現実にしたい!こんな風になりたい!は、人生、持ち続けた方がいいと思う。
ただ、今は情報が溢れてるから、いろんな情報の波動に巻き込まれちゃう前に、意識して自分に聞いて欲しい。その情報源のようになりたいか?と。
本当に?こんな風になりたい?
「教えてもらうこと」は、そこら辺に落ちてます。知らず知らずのうちに入ってきます。それが環境です。
そこに憧れがないのなら、少しも真似しちゃいけません!!!!!!!!!!
ミヒロ夫妻と過ごしたときにすごく感じたことがあります。環境のどこにも「自分たちで選んだもの」がありました。言い換えると、細部にわたるまで自分たちで選んだもので環境をつくるという感じです。
「好きなものに囲まれる暮らし」というのか、自分たちが自分たちのために選んだものに囲まれて過ごすことは、結果的にまわりにもゆとりと豊かさを与え、そこに来る皆が幸せを共有できる!ということでした。
だからこそ、何が好きで、必要で、自分の感覚を信頼して、モノもコトも選ぶという重要さに気づけました。その幸せで豊かな波動が、また同じ波動を引き寄せるのだとも。
憧れって「力」になるよー!