パートナーがいるっていいなあ、と思うことが多々ある。
彼と過ごすようになり、そして自粛の2ヶ月を経たことにより、急にわたしは 誰に対しても本来の自分を出せるようになりました。
ほんと急に。
これまでは「本来の自分が出せなかったのか?」というと、そんなことはないのですが、社会で生きる術というか、、、人によって自分を変えることが無意識で行われていたというか、、、それは誰にでもあることだと思います、ほんと無意識に。
でも、自分を客観的に見たときに「ちょっと真面目じゃない?」や、「なんか面白くないし、つまんないよね?わたし。良い子ちゃんになってない?」と思う自分も、たまにいたんですよ。
それが、彼と安心な時間を長く過ごすことにより、本来の自分をどんどん取り戻し、、、もう一方で、自粛期間に多くの人たちと会わない=波動が合わない人・苦手な場に行く必要がない、という時間を過ごすことで、自分の好きな世界だけにどっぷりと浸っていられたんですよね。
子ども達を見ても思ったのです。
苦手な人の前では、なぜか力が入ったり、緊張感があったり、無口になる場合もあれば、妙にべらべらと話す場合もあったり、、、いつもとは違う姿も垣間見てきたけれど、自粛期間の暮らしに慣れ始めてからは、力むことがなくなり、「こんな期間はなかなかない」と自ら進んでダラダラし、食べては寝る→映画・YouTube三昧 の日々を過ごし、自分の好きなことだけ&リラックス気分を存分に味わったことで、表情は柔らかく、気持ちも穏やかになりました。
安心の中だけで過ごしたり、好きな世界にどっぷりと浸ったり、ものすごく心地よかったりすることで、人はムクムクと自分の存在意義を感じる。
それが結果的に、誰に対しても本来の自分を出してくれる。
ダラダラや、自分の好きな世界だけに浸るって、世間的には協調性がないように見えたり、ワガママに感じられたりするかもしれないけれど、誰しも苦手なエネルギーの中で本来の自分を出すことは難しい。
疲れを感じたり、モヤモヤ・ザワザワしたりするのは、自分の感覚に無理をさせている時なのだなと、改めて気づきました。
本来の自分を出さなければいけない、 ということでもないし、
本来の自分を出せないことで自分を責める必要も、ない。
無理に自分を変えようとしたり、自分探しをすることでモヤモヤすることは、自分を疲れさせること。
それは自然ではない。
自分の心地良いところ、好きな人たちの中にいるだけで、不安にならず、安心でき、妙にアピールする必要もなければ、頑張ることもない。知らないうちに奥にあった本来の自分に戻っていて、楽。
そのような感覚を自覚しておくといいように思う。
自粛期間に感じたことはもう1つありました。
それは、ウィルスによって こうも変わっていく現実があるんだ、ということ。
自分の人生もいつどこで変わるか分からない、という視点から物事を考えると、自分の持つ価値観なども「どうしても守らなきゃいけない?」「本当に必要?」と 自分に問うようになりました。
また、自分を留めていない?
自由に生きたらいいじゃん!って。
今、わたしが感じていることが心地良く、自然なままでいられるなら、不安もアピールもいらないということ。そのままのエネルギーが彼にも、身近な人たちにも、そのまわりにも流れていく。
それを良い、悪い、好き、嫌いと思うのは相手の感覚であり、その相手の感覚もその人自身の自由な選択なのだから、自由に感じてもらったらよくて、気にすることは何もなくて。
人の数だけ、それぞれが感じる心地よさがあり、わたしはどんな時に心地よくて自然なのかを選ぶ自由がある。
本来の自分が出るようになったことで、これまでのご縁の中にも新たな”つながり”を感じることができたり、またある時は「わたしってこんな感じなんだ!」と、まだ見ぬ自分にワクワクしたりしています。
パートナーシップという、違う愛のカタチに心を開き 受け入れることは、自分の働き方も過ごし方も在り方も変えてくれる。
楽しみすぎる!!!