学生時代、
ずーーーーーっと変わらず得意だったのは「体育」!
自信を持って言えるw
特性としてわたしは、「個人」より「チーム」の方が向いている。
考えたらチームスポーツばかり選んで、楽しんできたものだ。
そして、
いちばん創りたかった「家族」というチームでも 目一杯生きてきた。
チームスポーツでいちばん厄介なのは、チーム割れ。
どんなに実力のある人が揃っていたとしても、チームとして互いに貢献し合うことを忘れたら、そのチームは強くはなれない。
これはスポーツだけじゃなく、誰かと生きていくことにもつながること。
比べたり、争ったり、信じることができなかったり、自分の好きなことばかりしたり、自分にとって都合の良いことばかりをしていたら、そのチームは先でもうまくいくことはない。
わたしは幼少から、家族のことも 身近にいる人のことも、遠くからの全体も、そのように見つめてきた。
なぜ人は、比べたり、競ったり、自分のことだけを考えたりする前に、ともに笑い合うことや助け合うこと、手をつなぐことを忘れてしまうのだろう?という疑問はいつもあった。
周りが病人ばかりで育ったわたしは、「側にある人と仲良くいたい」という気持ちがすごく強いのかもしれない。キレイゴトが言いたいんじゃなく、「その言動の先の目的は何だろう?」と常に考えてきた。
比べられたり、競われたり、あからさまに同じように真似られると、人は心地が悪くなって離れていく。それは結果的に「ひとり」になることを自ら起こしていることになるのだけど、本当にそれをその人は望んでいるのだろうか???
本当に、本当に、本当に、自分が望んでいること。
それが漠然としているということは、自分の奥にある深い自分と離れることとなり、ただ目の前に見えることだけに 頭がとらわれてしまう。
どんどん本来の自分とは離れ、
頭と感情だけで生きてしまう。。。ようになりやすい。
わたしはずっと それは本当にその人がしたいことなのだろうか・・・?と、自分の意識を「その人が本当に望んでいること」へと向かわせ、現実で起こっていることと照らし合わせてきた。
でも、わたしが感じることがすべてではなく、人には「必要で起こされること」というものがあるから、何があったとしても、何を感じたとしても、その影響を自分で受けとめながらも、ブレずに、責めもせずに、コントロールもせず、自分は自分で在りつづけることに注力してきたとも思う。
写真は、いちごカレー。
そのコラボあり?!って思わなかった???
でもね
わたしは それがいい。
あり得ない!って、離す考え方ではなく
ともに笑い合うことや助け合うこと、
手を【つなぐ】ことを まず先に考えたい。
前の結婚や恋愛では、どんなに心を寄せても、目の前のことにしか心を向けられず、自分たちの未来や希望をともに見出すこと、分かち合うことを選ばない場合があることを学んだ。
そうなるということ・・・それが宇宙の采配だとするなら、自分の道や望みが違うところにあるということを受け入れ、自分の今の人生で本当にしたいことを見出し、違う方向を向くことが必要だと決断した。
ともに笑い合うことや助け合うこと、手をつなぐことを大切にしてきたわたしにとって、離れるという考え方・離婚を選ぶことが どれだけ辛く、胸が張り裂ける想いだったか・・・
自分を奮い立たせて、信じて、ここまで歩いてきたなーと思う。
だから、今、パートナーと過ごせているのだから
2人でしかできないことをたくさんやろうとすごく思う。
もっと もっと HAPPYになろうって。
辛い想いをするために人生はあるんじゃなく、
そんな想いがやってくるときは
「本当はどうしたいの?」
と自分の本当の望みに立ち返り、
自分がいちばんの味方になって、望みを見出すときだとわたしは考える。
2人だって、チームだもの。
運命共同体。
そして
1人じゃなく、2人で・・・
いや、そんな風に考える人がどんどん増えて、
みんなでHAPPYを創り、さらにまわりに注ぎ続けたい。
ともに笑い合い、助け合い、手をつなぐ。
そんな輪を広げながら生きようと思う。