風と水の星座
6月20日は母の誕生日。生きていたら79歳。
亡くなって16年も経つと、会えなくて悲しいとか寂しいとか、そんな切ない気持ちはなくなり、子ども達の成長を感じる毎に、母の想いにまぎれもなく近付いているように感じます。それで十分。
命日は来月なんだけど、私はどうしても誕生日の方に重きを置いてしまう。6月と聞くと、「双子座の母」を思い出すんだよね。双子座は風の星座。風って、手で掴むことができない空気のようだから、側にいるんだけども、ひとつの場所にとらわれない軽やかな人のイメージ。まさに母はそんな人で、居たかと思ったら、すぐに何処かに行っているような、忙しくて、コミュニケーション上手で、よく笑い、社交的な性質を持っていた人だと思う。常に動いているイメージで、ゆっくりと話をしたような記憶はあまりない。
そして私は水の星座の魚座でして、心の中の動きや愛を大切にするタイプ。精神的なつながりを優先するので、一体感とか大好きなんですよーw 風さんの母にとっては、ズブズブの水って感じだったと思います。。。が、母は忙しい人だったから、私にとっては なかなか捕まらない人であり、一体感を感じないまま蜜月は終わったという感じです。
その私の魚座の性質を、最もうまく表現してくれる人がしいたけさんだと思っていて、魚座の表し方がすごく面白く、毎月の占いが楽しみで仕方ありません ↓
魚座は人と交わって、色々な談笑をすることも好きだし、素敵な人からアイデアや考え方のセンスなどを吸収するような、独自の感覚もあったりします。
一方で、魚座は周りからの拘束が長引いたりすると、ニコニコしながら「スッ」とその場からいなくなったりしますし、そこからまた、「誰かの近くで話を聞いていたい」となると、「スッ」と人の近くに寄っていったりもします。
しいたけ占いのしいたけ/6月の魚座フォローアップ「他人の心をつかんでいく」より
言い得て妙すぎる!!!
こういった文章を書ける人に憧れるなー
というわけで(どういうわけだ!?)、母とは 生きている間の絡みが少なかったと思うんですよ。23歳で実家を出たし、福岡と大阪で離れたから、子育てもほとんど手伝ってもらわなかったし、すぐには帰れなかったし、一緒に過ごす時間が人よりは少なかった。私は おてんばだったけど、今思えば、手のかからない子どもだったと思う。(うん、親孝行だ!←自分で言うw)
なんかね、母に心配をかけることが、すごくイヤだったんですよね。心配性っていうのもあったんだけど、母には「大好きだから笑っていてほしい」みたいな感覚が常にあって。まるで男の子が女の子に思うような気持ちというかね。だから、どんなことが起こっても、自分で解決して家に帰りたかった。家に帰って、母の顔を見るだけでホッとできたというか。。。なので「親に褒めてもらいたかった」とか、「認めてもらいたかった」みたいな気持ちがあまりなくて、「側にいれたら嬉しい!」「笑ってくれたらもっと嬉しい!」という感じで過ごしてきたように思う。
母は、祖父(母にとっての父親)にとても可愛がられたらしく、女性らしい人だったんです。子どもの私から見ても「可愛らしいなぁ」と思うことも多く、守ってあげたくなるような人だったんです。時折、「オイオイ、いつまでお嬢さん気分なんですか!」と思うこともありましたがw 親と子が逆転してるなと感じることもあり、姉とそんなことを話したりもしてましたねー。
軽やかな時代
親にとって私たち子どもは、いつまで経っても【子ども】。永遠に愛しい存在であることも、母から ものすごく感じました。口で色々と言ったとしても、感情的になったとしても、少しの間 連絡が途絶えようとも、親子が逆転したように感じても、永遠に変わらない愛がこの世にあることを、私は母からいちばん教わりました。
私の思う「味方になってほしい」というものとは、違う行動をされることもありましたが、そこは風と水の星座のように個々の考え方や価値観の違いがあるだけで、愛がないのではない。私の伝え方も未熟だっただろうし、母も当時は若かったとも思います。
母が亡くなり、同じ時間を過ごすことができなくなった時、私の世界は大きく壊れました、当時は心身ともに絶不調になったので、自分にとって最大の危機だと考えました。でも、初めて自分の世界が壊れたという事実は、世界(知覚)が広がる時に起こるものだと後に知りました。
これまで「見えている世界」が全てだった私が、「見えない世界」を大切にし始めた時だとも言えます。身近な人の【死】は、その人が自分にとって大切な人であればあるほど、心は止まり、時間だけが過ぎるものです。
ただ、その時に知るんです。
悲しすぎるけれど、感謝に溢れることを。
これを逆に言うと、「感謝を感じていたら、悲しみや苦しみ、後悔や罪悪感にのみこまれない」ということです。そして、母が 私たち子どもに望むことはどちらか?と言えば、苦しみ続けることではありません。
16年前のその時から私は、自分を責めたり、否定するようなこと=悲しみや苦しみ、後悔や罪悪感にのみこまれること自体、人に必要のないことじゃないか、と考えるようになりました。子ども達に対しても同じように思うからでもあります。感情は自然に湧いてくるものだから、その時は味わいきればよくて、引き摺る必要ものみこまれる必要もなく、やるなら「省みる」だけでいいと思います。
そうしたら、止まっていた心も動き始め、今を生きる時間に変わります。
風の時代と言われるようになり、少し時間が経ちました。
風というと母を思い出しますが(特に6月は。)、風の時代とは、母にちなんで【側にいるんだけども、ひとつの場所にとらわれない軽やかな時代】そう考えてよいと私は思っています。
自分も誰かも、否定しなければよい、ということですね!
改めて、お母さん誕生日おめでとう!!!あなたが生まれたから、私の命も今存在しています。