尊んで生きる
わたしは空気を吸うように
どんなときも自分を尊んで生きるしか、生き方を知らない。
幼い頃なんて、
腹の立つことがあれば
「こんなことのために、お母さんはわたしを生んだんじゃない!」
と本気で思っていた。
長い間それで生き、人と関わり、
社会とつながり、未来を見てきたから
親や先生の言うことでさえ
理解し難い時は
「何故そのように言うのか教えてくれ」と聞いていたし、
仲間外れにされたことも
そもそも何のためにするのか分からないから全然気付かなかったし
(隣の席の男子に言われて知る)
離婚したときは、仲間だと思ってた人に「みじめ」と言われ
人にみじめという言葉を使う心の構造はどうなっているんだろう?と本気で思って、探究した。
自分の価値は自分で決める。
自ら落とす必要はどこにもない。
自分の価値を等身大以下に落としてしまうこと、
過去の傷に覆われて生きてしまうこと、
人に依存してしまうこと、
人と比べて争うこと等に対して
悪いとは思わないけれど・・・
なぜそのようなことに
限りある命の時間を長く長決く明け渡してしまうのか
わたしには理解し難くて、悔しい気持ちになることはある。
身近な人なら本気で叱る。
個人セッションの月
3月は個人セッションの月だった。
セッションを久々にやって
自分が尊ぶことを大切にしていること、
それだけで生きてきたことを改めて思い知った。
だから
自分の尊さを【ちゃんと】知ろうという人が来てくれているのだとも。
そもそも人は存在だけで尊いのだ。
本質はシンプル。
それ以上のごちゃごちゃは捨てていい。
3月は
自分のど真ん中にあるものを思い知れて
それだけでも
まったく!!!
いい3月だった!!!!!