深い傷はなぜ生まれたのか?
「もし、まさみがいなくなったとしても 後悔はしないと思う。」
と先日言ってたパートナー。
その言葉を聞いて本当に変わったなぁ、、、とつくづく思った。
後悔だらけで、
亡き奥さまを想い続けていた彼は
もう、どこにも見えない。
人は、つらく、苦しいとことを経験すると
もう傷つきたくはないと
無意識にでも
そのような道は避けようとしたり
違う道を探ろうとするのだが
それは、一定期間の回避にしかならない。
なぜなら、
傷が行動の元であり
それは【恐れ】かベースになるから。
本来の愛の道から逸れることになる。
傷を持ち続けたり、後悔したり、罪悪感を持ったりするのは悪くない。
でもここで大切なのは
そこまでの深い傷はなぜ生まれたのか?
ということ。
自分自分の愛の道を開くとは?
深い傷はなぜ生まれたのか?
それは
相手への愛 があるから、
湧き上がる自分の愛 があるから だよね。
その生まれくる愛こそ
温かい尊いものであり、
生きる歓びになるとわたしは思う。
傷ついた自分という【恐れ】ではなく
生まれくる自分の温かな愛の尊さの方に
素直に心をふるわせて
愛そう、
愛されようとしよう。
そうすることで愛を受けとめる体験も、
与える体験も
自分の人生の中にあることに気づいていく。
それが自分の愛の道をもっと開いていく。
パートナーは
愛する、愛されるという体験によって
後悔という傷を昇華させることができたのだと思う。
何が言いたいのかというと、
傷ついた気持ちを
消化させようとか、後悔を手放そう、とか、難しいことを考えなくてもよくて
そこまでの深い愛のある自分に気づいて
そのあったかい想いに心をふるわせてほしい。
愛そう、愛されようとしてみてほしい。
傷の昇華をしてくれるのも
本来の愛の道を開いてくれるのも、愛する体験から始まるのだから。
恋愛にどっぷり浸かりたいという友へ。
ちなみに傷のないオトナなんていないよ(^^)