今わたしは、とても幸せをかみしめていて
それを伝えると自分のことのように喜んでくれる人たちがいて
まわりにいる人たちが幸せを感じてくれることも
また わたしを幸せにしています。
「誰か」がいることが幸せを何倍にもする
人って、恐れや不安を自分が抱えきれないほどに持ってしまうのに
それ以上に、誰かのために身を投じる溢れんばかりの愛も湧かせてしまう。
自分のためだけでは思いつかないことも
誰かを想うことで力がみなぎることを知る。
その「誰か」がいることが、幸せを何倍にもする。
想像以上の力を出すもの同士が
まわりを幸せにしないはずがない!とも思う。
でも、そこには覚悟も伴う。
自分も、愛する人も、自分のまわりの人たちも
繋がる人たちとの世界は、自分の心の深い部分と繋がっているということを知り
自分が幸せであること、幸せにし合うということは
「もう切ない世界に戻らない」という覚悟を持つこと。
愛そう、愛されようという世界に生きる覚悟を決めるのは
たったひとりの自分なんだよね。
それがまわりの人たちや今住む世界を巻き込んでいく。
愛そう、愛されようという世界に生きる覚悟
恋愛相談を聞いていて 感じることがある。
「誰か」がいることは、幸せを何倍にもすることだと決まっているのに
「誰か」がいることを、不安や悩みにしてしまうのは
愛そう、愛されようという世界に生きる覚悟を決めておらず、
切ない世界に無意識にでも「幸せだと思っているもの」を感じているということ。
「切なさ」はある意味簡単にキュンとさせてくれるからね。
その人から目が離せなくなる、簡単に執着できる方法だから。
もう一度言うけれど、
「誰か」がいることは、幸せを何倍にもすることだと決まっている。
「切なさ」と共にしている時は
自分の世界には誰もいないということ。
自分の住む世界に誰も住まわせないということ。
だから寂しかったり切なかったりする。
甘えられない、頼れないというのも同じで
自分が「誰も住まわせない」ようにしていることに気づくことが大事。
それを止めよう!と決めることができるのも
たったひとりの自分なんだよね。
「切ない世界」から飛び出して戻らないこと
今日は、街中がチョコだらけでした。
いつもよりカップルも多かったように感じます。
誰かの幸せは、心の温度をあげてくれる。
まるでホットチョコレートを飲んでいるような
甘くて温かなもの。
わたしはその連鎖が
どんどん広がっていったらいいなと思って生きてます!
毎年、長男の彼女ちゃんの作るケーキがすんごく美味しくて
今年もわたしと次男坊と娘っこは
「ケーキ食べたい!」と長男の彼女ちゃんに催促する図々しさ。
それをとっても喜んでくれて
「待っててね!」
という彼女ちゃん。
彼女ちゃんは間違いなく、うちの家族の天使です!
幸せってこのように
「誰か」がいること、
「誰か」と心の中の深い自分で繋がること、
「誰か」を愛そう、「誰か」から愛されようと覚悟すること、
「切ない世界」から飛び出して戻らないこと
なんだよね。
たったひとりでその覚悟は決められる。