長男は22歳、
家から大学に通っている。
学生の間は、この状態を変える必要はないと思っているが
気持ちの上では
彼とエネルギーを離し始めている。
もう少し早くに、意識的な親離れ・子離れをしようと思っていたが
多忙な父(元パートナー)に変わって
いつも下の子たちふたりを
ともに育ててくれたので
彼の精神的な子ども時代は早くに終わってしまったように思う。
その分、猶予があったと言うワケw
だからなのか、本当に甘え下手で
その辺りは彼女ちゃんという存在がいてくれて
彼をとても理解してくれて
心から感謝している。
娘っこは言う。
パパは優しいけど、わたしを育ててくれたのはにぃにぃ(兄達)だと。
次男坊も、大事なことは
まず長男に相談してからわたしに話す。
彼のそのポジションを変えてあげたいなと
母として思ったことは何度もあったが
成長とともに、
父代わりという責任を負うのではなく、
兄妹という関係性を楽しむようになったので
(下の子たちが大きくなってきたからだろう)
わたしとしては、実はホッとしている。
大学生になったとき、
この4年間は、好きに自由にして欲しいと願ってきた(心でね)。
大学には行っているが、
授業を受けている様子は全くしないな、と思ったことも
実は何度もあったw
でも、それでいいと わたしは思っていた。
先日、彼女ちゃんとふたりで話す時間があった。
彼女ちゃんは
「中島は(同級生なので名字で呼び合っていた時期が長い)ブレない。
周りがどう言おうと、どう動いていようと、自分の想いを貫く。
両親はそこを《超ポジティブ》だと話してます」
なんて言っていた。
まぁ、ある意味頑固なのかもしれないw
ただただ わたしは、心から好きに生きたらいいと思ってきた。
そして今、
好きに生きたらよい❤というエネルギーを送ることも
やめようと決めて実行している最中。
大切で大好きな子どものひとりだから
愛は消えることがない。
その上で
あえて離れる。
自由と言うことは、
すべての責任も自分で負うということ。
それは厳しさではなく、
創造性を存分に発揮して、人生を自分らしく創るステージだということ。
助け合ったり、分かち合ったりすることは
これからもあるだろうが
それは保護から生まれるのではなく、
互いに
ひとりの人間として
創造性から「与え」、「受けとる」を交わし合いたいな、と。
母から、
今まで当たり前のように浴びていたエネルギーが
流れてこなくなったことを
彼は感じ、知っている。
これも母からの愛のひとつだと
何も言わないが、素直にしっかりと受けとめている姿は
わたしには
実はとても嬉しいことで、感慨深い。
満たされていない場合は「離れた」と思い込んで
ワーワーやってしまうのが人間だから。
そして
彼がこの現状を受けとめていく様を
身近で感じて
自分にもそんな時が来ることを知るのが
また下の子たちふたり。
弟や妹というのは、言っても聞かないがw
上の子とわたしの関係性から勝手に学ぶことは、やってのける。
これはパートナーシップでも言えることだが、
愛を育むとき
愛するが故、エネルギーをダダ流しにするのではなく、
あえてエネルギーを離す力をも使う。
それは、彼を彼たらしめるために。
相手の創造性を存分に発揮し、新たな「らしさ」を生む時間を育むため。
素晴らしい人だからこそ、現状のままのはずはないという信頼の上で行う。
人間の命も子宮の中で十月十日育むように、
彼等の新たな創造性という生命も育んでいく。
寄り添ってはいても
《離れる力》は時に愛に必要なのである。
それを受けとめている長男が、、、、、、
実はすこぶる愛しいのだが、
それさえも自分の中の愛の営みとして味わい、
秘めておーーーる!
愛のカタチって様々だね❥
それをわたしは人生でたんまりと味わうために
生まれきたのだと思う。