今回はちょっとだけ、私が日々綴っているメルマガの中身を、ブログでもシェアしてみようと思います。
「Little Letter」という名前でお届けしているこのメルマガは、読むと心の温度が2°C上がるような、そんな優しい手紙です。
メルマガは、SNSよりももう少し深く、心の内をやさしく言葉にできる場所。ここでは、最近配信した内容を少しだけご紹介しますね。
魂で愛を込めるから、終わりを美しく迎えられる
最近、ふと、「もう、ここにはやることがないな」と思える瞬間がありました。
やり切った、という達成感でもなく、
次へ行こう、という前向きな勢いでもなく。
ただ、立ち止まったときに、そこに静かに“終わり”が在った。
そんな感覚でした。
清々しさでもなく、力強さでもなく、
どちらかに偏る必要のない、ちょうど真ん中に立っているような静けさ。
何かを決めるでもなく、手放すでもなく。
“もう十分だったんだな”と、内側から届いた確かな気配でした。
その感覚とともに、
ふと「今のことを残しておこうかな」と思ったのが、執筆のはじまりです。
誰かに伝えたくて書いたわけではなく、
書かなければと思っていたわけでもない。
ただ、書いてもいいし、書かなくてもいい。
そんな自由な余白のなかで、言葉が自然と流れ出してきました。
書きながら気づいたのは、
「伝えたい!」という強い想いではなく、
この静けさに、ただ触れておきたかったのかもしれないということ。
「魂で愛を込める」とは、
私にとって
感情を燃やすことでも、
全力を尽くすことでもなくて。
ただ、誠実に、真心で向き合うこと。
結果を求めるわけでもなく、
誰かに認められることを望むのでもなく。
できても、できなくても、それはそれでいい。
そんなまなざしで在ること。
たとえば──
初めて寝返りをうとうとする赤ちゃんを、静かに見守るように。
「できたらいいね」と思いながらも、
「できなくても、あなたはあなた」と、ただそばにいる。
あるいは、部下が失敗したとき。
想定内だから驚かないし、責めない。
その人の歩みとして、それも含めて受け止める。
何も言わずとも、ちゃんと見ているという安心感を差し出すような。
そういう時間や関わりの中には、
特別なことはないけれど、
確かに“魂で愛を込めた”という実感が、あとから静かに残っています。
終わりとは
「終わり」とは、何かを「終える」というより、
自然と「終わっていた」と気づくような感覚でした。
もう少しこうすれば…と微調整を続けていた日々、
そこに、いつの間にか静かに幕が下りていた。
何か大きなきっかけがあったわけではありません。
ただ、ある日ふと──
「ここにはもう、やることがないな」と、腑に落ちた。
それは頭ではなく、深い場所から届いたもの。
ずっと以前から、私の奥のほうでは知っていたことが、
やっと今の私に届いた。
そんな風に感じたのです。
手放すでも、切り離すでもなく、
これまでの日々が、まるごと自分の一部になっていくような感覚。
それが、「終わり」の本質なのかもしれません。
「終わり」は、がんばったご褒美でも、
なにかを手放した結果でもない。
やってもやっても何かが変わらない──
そんな時間をくぐったあとに、
ふと立ち止まることができたとき、
その静かな気配が、やってくるのかもしれません。
誰かに伝えたいというほどではないけれど、
今、どこかで立ち止まりたくなっている誰かがいるなら。
こんな「終わり方」もあるんだと、
心のどこかに置いてもらえたら嬉しいです。
その「終わり」を、迎え入れたなら──
それだけで、次へと足を一歩踏み出しているのかもしれません。
次への準備とは、実は
美しく終えることなのです。
終わりに気づくことは、自分の歩みをそっと見守ること
このリトルレターが、
あなたの内側にある小さな終わりや満ちたものに、
やさしい温もりを灯すきっかけになれば幸いです。
このテーマに触れて、
「わたしの中にも何かが終わろうとしている気がする」
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