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信頼とは「信じようとする」のではなく、本音を出して接することから

昨日は娘っこの部活の引退試合に行きました。
(勝ったのでまだ続くんですが)
 

 
思えば中学生になってからの娘っこは
思春期盛りに入りまして
それは順調と言えば順調な成長ですが、

次男坊のまだ続いていた思春期と
重なったこともあり、
ものすごく体力、精神力を消耗しました。
  

この時期にシングルで育てたわたしを、わたしは褒めてあげたいっ!
ええ、自己満足ですw

 

日々揺れ
それを容赦なくぶつけてくる
10代の思春期たちの凄まじいパワーを
受け続けた自分ってあまり覚えていないけど
とにかく消耗はした!


その瞬々はめーいっぱい生きて、必死だった。

遠慮なくわたしにぶつかったり
当たったりする姿は、
「ここに居場所がある」と示している現れなので
ある意味、わたしは安心してもいました。

親に私はそんなことできなかったから!
両親ともに、病気や介護でいっぱいいっぱいでしたからねぇ

受けとめる器のあるところでしか、人は本当の姿や本音を出さない

出したとしても
受けとめてもらえないことが分かったら、
違う居場所を求めていくものです。
 

母のわたしも「人間」で「完璧」じゃない
わたし自身も本音を出して接することを心がけました。
 

 
シングルになったからと言って、
父親代わりをやるのは、自分に『無理をさせる』こと。

そのポジションは『わたし』じゃない。

私は誰のポジションにも入らないし
誰のポジションも奪わないし、
私は『わたし』でいるだけで精一杯。

自分を生きるだけで十分!!!
 

これはシングルに限らず、
夫婦でも、職場でも、人間関係の中でもあることではないでしょうか?
 

よく「上から目線でこられるのがイヤ」と聞きますが
それは、無意識に「下」のポジションに入っているからかもしれません。

私はどんなに上のポジションから来られたとしても
決して下に入らない。
その行動が心地よくなければ、その人は自然に去っていくだけだから。

と言うか、「上から来るよねぇ?」と
笑いながら、場を和ませながら言うのが『わたし』です。

  

本当の意味での平等や対等を知らないだけかもしれませんよね。
 

上司でも、メンターでも、
尊敬し、素晴らしい人だとどれだけ思っていても
「上」や「下」に入る必要はない。

長続きする関係性とは、本当の意味での「対等」だと思う。
 

 
子どもたちの思春期に対して、
受けとめてきたことを労うのは『わたし』しかいない!

でも、子どもたちは知ってるし、それを言葉にしてくれる。
(後で落ち着いてからだけど)

元パートナーからも感謝されるし(当たり前だろ!)
それを言葉にも、お金にもしてくれる(当たり前だろ!!@2回目)

そこが彼のポジションだから、奪わない。
感謝もしています!(当たり前にねw)
 

互いにポジションを分かりあうとは、
『受けとめすぎない』『無理をしない』こと。

本音を出して接することから。
 

それが、
互いに頼り合えること=信頼につながるのです。

りんごろ

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