『母』に戻る時
次男坊が幼稚園に通い始めてから、
毎日 家の電話が鳴るようになった。
そう。幼稚園の先生からの電話。
「今日はこんなことがありました」
という数々のお友達とのケンカの事実と、
先生方の対応、そして原因と結果。
『毎日』ですよ。
先生方は大変です!!!
長男はニコニコ穏やかに遊び、
どちらかと言えばケンカは「やられちゃう方」だったので、
その真逆の日々が訪れるなんて思っていなかったわたし。
その長男の園生活では、
ケンカっ早い子のママたちがいつも頭を下げている姿を見ていたので
「今度はわたしが頭を下げる番だわ」と覚悟したのは入園初日
初日からやらかすー???
それにしても・・・『毎日』ケンカやいたずら。
飽きないの???っていうか、わたしが凹むわ!みたいな。
友達といることが嬉しくて仕方ない次男坊が、
どうにかして絡みたいのは容易に想像ができました。
が、それは仲良くなる方法じゃなくて、嫌われる方法だから!!!
なんて通じない男の子、3歳児。(うちの子の場合)
それまでは仕事をしていたわたしでしたが、
ここはしっかりと『母』に戻る時じゃないかと思い、
専業主婦となって、幼稚園生活と次男坊にどっぷりと浸かりました。
毎年役員には立候補!
園児並みに幼稚園に通い
先生方とはたくさん対話し
お友達を連れては帰り、
ほぼ毎日8人くらいの園児たち(とその兄妹含め)に家で遊んでもらいました。
すぐにイタズラしてしまう次男坊を、
少しでも理解してもらえる方法はなんだろうか?と考え、
わたしにできることはやり尽くそうと決めた3年間でした。
ありがたいことに、
何をしても受け入れてくれる友達とママたちに恵まれたので、
次男坊にとってものびのびした園生活になりました。
何処に足を向けて寝たらいいのやら・・・と思うほどにわたしも救われました。
卒園式の時、担任の先生がひとりひとりの名前を読み上げていくのですが、
次男坊の名前を呼びながら涙が溢れ、
泣き崩れるかのような声になった先生・・・
どれだけ先生が関わってくれ、愛情を注いでくれたか・・・
目に見えるようでした。
所謂「問題児の母」をさせてもらったことで、
たくさんの人たちも支えてくださっていること、育ち合っていること、
なにより温かく見守られていることを教えてもらいました。
そして、専業主婦の面白さも存分に味わいました!
家庭の中にどっぷりと浸かる時期
毎日お兄ちゃんとその友達がいる中で育った娘。
彼女が幼稚園を楽しまないはずはなく、
それはもう「水を得た魚」のように過ごしました。
その後の小学校生活も。
女の子は楽チンだなーと思っていましたが
その娘にも嵐がやって来ました。
「思春期」の中学校生活です。
天真爛漫だった娘の顔が
みるみる曇っていくのを感じて、
次男坊の幼稚園時のあの感覚が蘇ってきました。
ここはしっかりと『母』に戻る時じゃないか? です。
勘とでも言うんですかねぇ。
すくすく育ってきたからこそ
このような時期は側にいる必要がある!という直感というか・・・
だからこの3年間は
娘に寄り添うことが最優先の仕事のやり方を選びました。
このように家庭の中にどっぷりと浸かる時期のことを、
わたしの中では『引きこもり』と呼んでます。
(やっとタイトルに行き着いた!ここまでがなげーよ)
だからねぇ「不登校」や「引きこもる子」の気持ちって、
学校に行けないだけじゃなくて、
家庭に貢献している時期なんじゃないか?って勝手に思うんです。
もちろん持論ですが。
そんな時はこっちも引きこもって、
共に「引きこもり生活」を分かち合ったらいい!なんてね。
この3年間、
わたしは半分以上引きこもって『母』を存分にさせてもらいました。
だからですが、娘とは「より繋がった感覚」を確信的に持っています。
だって表情も雰囲気も大きく変わったもの!!!
揺るぎない絆を家庭(内側)で育んだからこそ、
娘はこれから大きな空(外側)に向かって、
絆を育むプロセスを楽しみ、羽ばたくでしょう。
それを見ることが楽しみで仕方ないし、
わたし自身も、また空に向かって羽ばたける喜びに満ちています。
半分以上、引きこもり。
は、引く子守り 期間かもしれません。
それはどちらにとっても浮上する前の準備期間です。