陰で言う悪口を陰口。
本人に言えるのは、意見だとわたしは思っている。
先日、わたしの陰口であろうことが耳に入った。
親しいとわたしが思っている人が言っていたという。
でもわたしは
意見以外は受け入れない。それだけ。
人は愚痴りたいときってあると思うから。
その場でプッと笑える悪口は、あってもいいと思ってる。
人は完璧じゃないもん!
そうやって時に発散することで、
深刻な悩みにならないってこと、あるよね(*´艸`*)
それに
自分だったらどうするか?を相手の立場になって考える、
相手が陰口を言ってしまう「本当の理由」があるはずだから
それを見極める。
陰口や「あの人が言ってたよ」と伝えるとか、
わざわざ相手(が困っていると思って)を助けようとするとき、
心配などは
相手より少しだけ、
自分が「守っている」、「強い」と上から思っている状態。
相手を「守るべき」「弱い」「下」の存在にしてしまう場合、
(とくに親子なんかね)
相手の本来の姿は見ていない。
自分の思うようにしたいだけ、見たいだけ。
それらは必ず自分に還ってくる。
人には、強さ、光、優しさや美しさがある。
わたしは、そこにフォーカスし、寄り添う。
相手を無力にするのは、意外にも簡単かもしれない。
「できないこと」「できていないこと」にフォーカスさせ
不安にさせれば、
相手は教えてほしい、伝えてほしいと
自分にすがるだろう。
陰口や「あの人が言ってたよ」と伝えるとか、ね。
恋愛相談を受けてきて
「自分の方が好きだと思われたら、適当に扱われる」
「たまにはヤキモチやかせることも必要」
「期待より超えなければ飽きる」
「押したら、次は引く」
「優しくしたらつけあがる」
そんな言葉たちを聞くことがあるのだけど
これらも
相手より少しだけ、「守っている」「強い」と思いたいんだよね。
かわいいな、と適度に思えるくらいならいいよね!
でも
自分の思うようにしたいなら、
それは「パートナーシップ」と言うよりは、ひとりよがり。
恋の駆け引きが好きな人には
これらはスパイスになるだろうけれど
所詮、スパイス程度だと知っておくといい。
「心から愛される」には遠回り。
相手のハートに最後に残るのは
「心地悪いエネルギー」になっちゃうからね。
恋愛で
駆け引きをしたいのか、
大切にし合いたいのか、
「自分が本当にしたいことは何なのか?」
そこを考えないと
相手にも、周りにも、実はバレバレ!
人ってそういうことは、すぐに察知しちゃうからね。
だから
やったことは還ってくる。
子ども達に対して、
わたしは長い間「自分(だけ)が守っている」と思ってきた。
それで、自分を奮い立たせることができたように思う。
でもね
自分が守る立場から、守られていたことを受け入れたとき、
自分の小ささ、醜さ、傲慢さにも気づき、
同時に
守られている喜びを感じて、心から感謝できた。
「わたしを想ってくれる」
それは
存在をまるっと愛してくれていること。
何事も陰陽がある。
守っていれば、守られている。
至極シンプル。それらをただ受け入れたらいい。
陰口が自分の口から出るとき、陰口を聞くとき、
それは
言っている本人が、相手より少しだけ
自分が「守っている」「強い」と思いたいだけ=弱っている自信のない状態。
本当は自分を見て、側にいてほしいときなんだよね。
陰口に反応するのではなく、
心を開いて、相手の心を見つめてあげたら、本人は落ち着きます。
でも!
これだけは忘れないで!!!
自分がこれまで築き上げてきたこと、
尊厳たる人格、
大切にしてきた誇り、
これらを汚そうとされている場合、
本気で怒り、向かわなければいけません。
たとえ、傷つくことがあったとしても
生きるための「守り!」であり、「証」。
譲っては成りませぬ。
そして
自分にも周りにも、その証は残ります。
心も体も精神的にも侵される場合は、
向かわず、その世界から去りましょう。
身体あってナンボなので。