友と呼ぶ人はそんなに多くなくていいとわたしは思う。
自分はひとり。だから多くの人を大切にすることは難しい。
でも、わたしが大切に想う人たちが、誰かをまた大切にして
その循環が大きくなっていったらいいなと思う。逆も然りで。
友の基準
以前のパートナーは、仕事で名の知れた人だったので
仕方ないのかもしれないけれど
「あの〇〇さんの奥さんよ!」とわたしは紹介されることが多々あった。
ご縁を深めると、互いに大切にし合うことは自然の流れ。
それらを「旦那さんが〇〇だからだよね」、「得だよね」のような言葉で
友から言われることも度々あり、残念な気持ちには・・・やはりなっていた。
落ち込んではいないけれど。
悪気はないんだよね。
親戚でさえ同じことを言うのだから、それが「一般的」なのは理解している。
ただ、自分が思う『友』 と 相手が思う『友』の違い。
自分が大切にしていること と 相手が大切にしていること が違うんだよね。
仕事柄、相談されることも多い。
「相談ばかり」の相手の場合、わたしは『友』とは呼べないと感じてしまう。
互いを知り合いたいから。
学生時代からの親友は
いつ会っても、何処で会っても、何年かぶりに会っても、昔と変わらない。
「どうしてた?」「それでどう思った?」「今はどう感じてる?」と
互いのこれまでを知ろうとし、分かち合うための話は尽きない。
これなの!
わたしが『友』と思う基準は。
存在だけで嬉しい
先日、大阪に来る友を迎えに空港まで行った時
会えた瞬間に「久しぶり〜。どうしてた〜?」と言いながらハグ。
互いに涙を溢れさせながら。
会えて嬉しいし、無事で嬉しいし(大袈裟かもしれないけれど)、
これから共に過ごせることも嬉しい。それらが一気にこみあげる。
楽しくないはずないし!!!
去年、福岡からの親友が遊びに来た時も同じで
遠くに見えた瞬間に、懐かしさや大切さがこみ上げて涙、涙。
生きてくれてるだけで、存在だけで嬉しい。そんな気持ちになる。
ハグや手を取り合うことが自然に出ちゃうって
その人の存在を大切に、愛しく思っているからじゃないかな。
無意識にも。
わたしは今も、娘が家に帰ってくると手を広げてしまう。
鞄や上着を渡されるけどねw
距離や時間じゃない
毎月、「そろそろご飯に行こう!」と欠かさず誘い合う友もいる。
これも自然で、そろそろゆっくりじっくりと会いたいな、話したいな、と思う。
どうしてるかな?と、ふと思ったりもする。
距離や時間じゃないんだよね。
想いあえるのは、互いの『想いが生まれてる』からなんだよね。
『想いが生まれている』ということは、
そこにはもう育まれる『命のような繋がり』があるということ。
アイデアをカタチにするとかもそうだよね? カタチという命になる。
自分から生まれくる想いがあるなら、子どものように大切にしたらいい。
告白ができない、とか 素直になれない、
今の関係が壊れることが怖いって、すごく理解できるのだけど
本当に伝えたいことは「返答が怖い」ということじゃなくて
あなたを通して、「喜びや幸せを感じた」という『想い』なんだよね。
『想い』も自分に放っておかれると寂しいんだよー
『想い』は育もう❥
そして大切にし合う友(恋人・夫婦でもいいね)になろう!