男性の存在って大きいな、と思うことは
多々ある。
うちの子ども3人の、上の2人は男の子。
自然に父の姿を自分に重ねて見ていることがある。
大学の学祭委員に燃え尽きた長男は
ふと、わたしに聞いてきた。
『俺が大学辞めたら、父さん怒るかな?』
本気で決めたのなら怒りはしないと思うよ。
自由と自己責任はセット。
本気なら
自分ひとりくらい養う覚悟で話してみー
『いや、ふと思っただけだよ。わかってるし』と長男は言ったけど、
きっと父親の姿を思い浮かべて
同じことができるだろうか?と思ったに違いない。
次男坊もそう。
進学先を決めてから、なかなか父に話せずにいた。
親の期待に添いたいからではなく、
自分で決めたことを貫き、
伝える勇気をもつことに
男性の存在は大きなものなのだろうと思う。
そうしたハードルにもなってくれている
彼の生き方、仕事に対する姿勢に
やはり感謝する年始なのであります。
なーんて言うとね
「じゃー、まだ一緒にいたらよかったじゃん」なんて言われたりもするのだけど
うじゃうじゃと言いたい間は
まだ一緒にいたいってことなのよん!
立つ鳥跡を濁さず
そんな言葉があるように、
感謝できるときって
そこから卒業できる場合もありまする。
そして
自分を見てくれている人は
身近に、側にいるのだとも思う。
距離はさほど関係なく。
子ども達に後ろ姿を見せてくれるのは
決して父親だけでもないよね。
だからわたしは
いろんな人と出逢ってほしいと思ってもいます。
男の子は父の姿を自分に重ねやすい。
娘っこが、わたしの姿を重ねると思うと
わたしも正直な人生を歩もうと
やはり意識もした年始なのであります。