文具好きで
気に入ったものは大切に、長く使うのが、また好き。
手帳はカバーつけちゃうし
毎年、ほぼ日手帳 使ってるし
これまた好きな ミナペルホネン で揃えちゃうし!
眺めてるだけでニマニマできちゃうから
持ちものは マジで好きなものに囲まれてないとダメ。
これ、もう小学生からで
筆箱とか下敷きとかペンとか定規とか、
手にも、気持ちにも しっくりこないとすぐに変えちゃう。
ついでに言うと
手帳やノートも自分なりの書き方があって、
色鉛筆使ってたり、絵を描いたり、その時によって様々なんだけど
ごちゃごちゃに見えても、自分なりにしっくりきてたらOK!
自分が解けない(読み返せない)のがダメで
学生のときは授業ノートを何回書き直したことか!
↑
復習のためじゃなくて
見た目というか、デザインというか、自分なりにしっくりしないのが
もう、気持ち悪くて、心地よくなくてw
もはや、
授業とは関係ないところで必死になっておりやした❗️
何が言いたいかというと、わたしにとっての『しっくり』は
自分のすごく『好き』なこと、且つ 流れが『自然である』こと。
しっくりしないということは
自分にとって『この流れじゃない』というサインなんだよね。
そのサインを感じることは わたしにとって『当たり前』すぎて
意識もしてなくて
「え?みんなも同じことしてるんじゃないの?」ってくらい
誰にでも起こることだと思ってました。
復習のためじゃなく、しっくりくるまでノートを書き直していたことは、
わたしにとっての学びの道筋であり、
それさえやれば『学びがすぐに身につく』方法だったんです。
そのように
自分にとって当たり前すぎることが【強み】。
自分で意識していることや、努力してきたことは
後天的に身につけてきたので、強みというよりは『能力』。
『能力』も自分にとっては武器。
ONE PIECEでいう悪魔の実と同じ感じかなー
(一部の人しか分かんないじゃんw)
世の中に多くあるのは、
自分の『能力』を知ったり、タイプ分けをするツールのように思う。
【強み】を伝えてくれる人もいるけれど
自分の強みを自覚し、磨く人は・・・多くはいないように感じる。
【強み】は、努力しなくても身についている、
既にある意識もしない『当たり前』のもので
違う言い方をするなら、シナプスが流れすぎていること。
だから言われたとしても
「誰でもできるじゃん!」、「それ趣味じゃない?」程度だと思考したり、
受け入れないかスルーで終わることも多い。
【強み】を自覚するとは
- 自分の【強み】はどんなとき、どんなことに使えているのか?
- これから何を得たいのか、何を実行したいのか、に どう使えるか?
これまではどのように使っていたのかを検証し、
それはどこまで、どう使えるかを実践すれば、
なにより自分のパワーとなるし、自分の味方がいるような強さも持てる。
そして、自分(の強み)を知れば知るほどに
自分がどのようなことに役立てるのか、誰に何を与えることができるのか、
細かに知れるということなんだよね。
強みを自覚せずにいられなくない?
【強み】を自覚してる人は、なんかオーラがあるというか
覇気がある気さえする。 いや、あるはず!使ってる!!!
(って、またONE PIECEかよ! わかりにくくてごめんなさい)
まずは自分のことを自覚しよう。
等身大に事細かく、貪欲に。
わたしの本質的な強みは【理】だと言われている。
【理】とは、その人にとっての筋道というか、
潜在的にある これ以上シンプルにならない『原石』からの言動、道筋。
たとえば
ペット好きな人がいたりするでしょ?
その人のペットへの愛し方、育み方は
その人にとっての『当たり前』&『好き』が発動していて、
その上、相手がペットだから(人間じゃないから)
頭を(気を)使って接していないのよね。
相手のことを考えて、、、とかが発動しない。
だから
本来のその人の愛し方、育み方がめっちゃ出ていたりする。
のだけど!
実際のパートナーシップは「全然違うことをやっている」場合がある。
それがわたしにとっては
「ん?なんかしっくりこない?」という謎になり、
その人本来の「愛し方・育み方」が
ペットと人とでは何故違ってしまうのか?という探求になる。
ただ『しっくり』するかどうか、だけなんだよね。
【強み】だから意識なく発動する。
ペットと人とでは、なぜ違うようになったのか?という背景が
その人の人生には必ずあって
それが本来の姿を曲解し、無意識でも本人を苦しませているのなら
本来の姿に戻るサポートをする。
それが【強み】を使うわたしのライフワーク。
人は必ず足跡を残す。
その足跡が、魂の苦しい叫びのように聴こえたり、
その人自身が(無意識でも)わたしのところに来るのなら、
それは本来の姿を知ろうとしていることだったり
自分の中では自然じゃなくて、心地悪さを感じているということだから
わたしは本来のその人にアクセスして、そこに必要な問いを置く。
今、本来の自分に気づきたいか、避けたいかは、その人自身が選ぶこととして。
自分の中の『しっくり』を探究してきたのは
単にわたしの【強み】が発動している、ということなのである。