わたしの両親は他界しています。
父はわたしが22歳のときに
母は36歳のときに。
どうして早くに別れを受けとめなきゃならなかったんだろう?
という疑問が常にわたしにありました。
(もっと早くにお別れした方もいると思いますが)
長男がお腹に宿ったとき、
まだ「妊娠」すら分からない時から
この地球に生まれくる子がわたしの中にいる!と
実は確信していました。
自分のものじゃない「生命力」を感じたからです。
地球に生まれる!といった命からの意志を
とても感じたことを覚えています。
だから自分の子ども、と言うよりは
「授かりもの」ともずっと思えているし、
自分とは違う生命力、
命そのものに、まわりも生かされる
と思えてました。
その「生命力」を体の中で感じることで
今まで、わたしだけでは感じ得なかったみなぎる力を体感していたからです。
命の神秘さを体感できる「子宮」を持って生まれきたことは
こんなに嬉しいことなんだと、ものすごく感じました。
わたしの小さな頃からの夢のひとつは「お母さんになる」こと。
だから、
「生命力」を体の中で感じることは本能的な喜びであり、
お産も、子どもとの共同作業だと思っていたから
「新しい生命がこの地球に誕生しようとしてる!」
という喜びの方が増していて(ある意味興奮状態!)
陣痛を
カウントダウンのように感じていたことも覚えています。
それまでの人生で「ご縁」のなかった大阪という土地に住むようになるのも
(わたしは福岡出身)
ここで子育てをすることになるのも
なぜか決まっていたように今は思います。
誰も知り合いのいない「大阪」で子育てをすることに
福岡にいた頃は不安もありましたが、
やってみて思ったのは
知り合いがいないからこそ自分流を貫ける!
そこでした。
子はかすがい
そんな気持ちも十分に理解していますが、
自分のものじゃない「生命力」を
自分に染めようとせず、
どれだけ純粋に「生命力」を伸ばすことができるのだろうか?
そんな風に考えてきたように思います。
今では
「母さんは、あれをしろ、これをしろ、って全然言わんかった。
勉強のことを言わん親って、まわりにもおらんわー」
と言われています。
(それがいいのかどうかは分かりませんが)
わたしは
互いの「生命力」が交わると
どんな反応が起き、どんな可能性をつくっていくのか
そこに興味津々で
いわゆる「良い子育て」には興味がなかったのでしょう。
まぁ、、、
だからなのですが、、、
三者三様で
「生命力」溢れすぎる子たちだとは思っています。
体力的にも精神的にも大変なこともありますが、
これが互いの「生命力」の交わりで
わたしが望んできたことだとも思ってます。
ね?
望んだことって叶ってるでしょ???
だから素直に望み、
望んだら無意識になるまで 自分のものにすること。
これ、運を変える法則だ思っています。
どうして早くに別れを受けとめなきゃならなかったんだろう?
この答えは
なんとなくだけど
命は「授かりもの」
自分もパートナーも「授かりもの」
親も「授かりもの」
授かった命どうし、
出逢えるのは奇跡の確率で、
当たり前じゃなく、過ごす時間も限られている。
それらを早くに教えてくれたのだと思います。
「分かち合う関わりの中で生きる」ということを
わたしにしっかりと根付かせてくれたことも。
そう強く言えるのは、
父も母も早くに亡くして
家族という絆の分かち合いをもっと築きたかったから、なんだよね。
でも、不思議なのは
夢に出てきてメッセージを伝えてくれたり、
(わたしは見える人とかではないので)
チャネラーさんを介して「今やること」を教えてくれたり、
不安なときは必ずと言っていいほど
側にいる気配を感じたり、
なぜかいつも見守ってくれていると思えること。
この世での人間としての「生命力」はもう感じませんが
わたしの中に宿る命の循環の「生命力」は増すばかりです。
こういうことを敏感に感じ取ることができるようになったのも
わたしだからなのかもしれないと
両親からいただいた
自分という「生命力」の可能性も伸ばそう!と思えます。
いつか天で会えるだろうから
そのときは、たくさんのことを話したいと思います。
まだまだ ここででめーいっぱい生きるけどねっ!!!