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必ず人を要するとき。

今日は長男の誕生日。
わたしが幼い頃からなりたかった「お母さん」になれた日。

  

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目次

わたしのアイデンティティ

育児はわたしにとって、かけがえのない時間を与えてくれた。
そして「自分は何者なのか」という長い間自問自答してきた答えを明確にもしてくれた。

わたしのアイデンティティ=「お母さん」だったのだ。

心理カウンセラーになり、どれだけのお客さんとつながっていても、講師として講座をやっていても、わたしのアイデンティティは「お母さん」。それは揺らぐことのないわたしの軸であり、生き方であり、いちばん大切にしていた在り方だった。

育児で悩んだことも、これでいいのか?と何度も自分に問うたことも、自分の育て方には問題があるんじゃないかと自分を責め続けたことも、イライラすることも、怒ることも、思うようにならない日常に涙したことも何度もあったが、目の前にある命とともに生きるということは、わたしの「希望」であり、「可能性への冒険」であり、「生きがい」だったのだ。

育児は20年以上、わたしという人格を創ってくれていた。

去年、娘の義務教育の終わりが見えてきたころ、娘に「来年は高校生。わたしは高校生活を存分に楽しむから、ママも自分の人生を楽しんで」みたいなことを言われた・・・

その言葉は「親離れ」を意識して出たもので、正直、わたしのアイデンティティを崩壊したいちばんの事実だと思っている。でも、その流れは 確実にわたしに迫っていることも なんとなく感じてはいたんだよね・・・

これまで自分のど真ん中にあった「お母さん」という軸、道のようなものが、少しずつ、ゆるくだけども、ハッキリと失くなることを知ったわたしは、新たな「希望」、「可能性への冒険」、「生きがい」を見つけるため、去年一年は自分のアイデンティティを再構築するという、人生においてとても大切な転換期に たったひとりで向き合っていた。

企業で定年を迎えた方が、何をしたらいいのかわからずに奥さんに付きまとい、「何か自分の好きなことを見つけて!」と言われるような日々と似ていたのかもしれない。

恋を失った人に「合コン」や「紹介」を勧めることや、スケジュールをとにかく埋めようとすること、急に仕事に熱心になったりすることも分からなくはないと思ったが、空いた穴をただただ短絡的に埋める行為や、なんとも言えない空虚感、寂しさに誰かをあてがって「夢中」にすり替えるのは、余計にわびしく感じる。

「パートナーをつくるといいよ」と何百回も言われてきたが、育児よりも面白く感じる人間のつながりや、心の奥からの安心感を、わたしは感じなかったのだ、それまでに。

だから恋にも落ちなかった。理想が高いとか、子どもに逃げているとか、言われ続けたが、大切なことが「育児」ということへの尊厳はあっていいとわたしはずっと思ってきた。

自分と一体化という意味の「アイデンティティ」。

これを失うということの大きさに、わたしは無意識に何年も時間を費やし、目前に迫った去年は ずいぶんと低迷したように思う。が、これまで過ごしてきた自分の人生経験や育児で培った人格は、仕事においては多大な影響とつながりがあり、わたしを助けてくれも、成長させてくれもした。

この期間、わたしがヒシヒシと感じてきたことがある。

アイデンティティを失う(失った)人に、「恋愛」や「自分の趣味」、「自分の仕事のスキル(講座)」受講を勧めたり、それらをあてがおうとする考えは、極力やめてほしい。

自己信頼が安定していない時に、まわりの声にしたがうということは、かえって自分を失くしていき、努力にエネルギーを奪われ、人生をあきらめる道に入る可能性があるし、わたしは、そんな人を多く見てきた1人でもある。

もし、子どもたちがアイデンティティを失っている時だったら、わたしはそんなことはまず言えないし、これ以上消耗させたくないし、その人にとって本当の喜びや楽しさは何だろう?と考える。

この期間にわたしは、本当に大事なことを痛感させられたようだ。

自分の尊い声にこそ耳を傾ける、自分の感覚こそ信頼する。
タイプ別などの人分けをどれほど詳細に示すものがあったとしても、「個性」は「個性」で、「人格」は「人格」。「自分」はかけがえのない「自分」であり、尊厳を持ち、自分の中の深い自分の「声」を引き出すために自分も他人もいて、出来事は起こるのだと。

自分を生きるために、人を要する。

  

  
そしてわたしは娘に、こうも言われた。
「ママを幸せにしてくれる人を、ママは探してね!」
「わたしはママに十分に愛をもらったよ。今度はママが愛をもらう番」だと。

アイデンティティを失う(失った)人にとって、これまで大切にしてきた自分の人生の生きがい(わたしの場合、愛の循環)に関連することを勧められるのは、すごくありがたいことだと改めて感じた。

どこまでも「自分」に寄り添ってもらう感覚も 愛の成せること。

過去の育児が「今」伝わる言葉になって、娘から聞かされたということは、わたしの自己信頼を取り戻してくれるきっかけになり、人を育むという「育児」=アイデンティティの可能性をさらに広げてくれる確信にもなりました。

人は人に支えられ、必要とされることで愛の循環を感じ、いきいきとする。そのように人は「生かされている」んだなぁと、過去からこれまでを思い返すような時間がその頃から始まりました。

自分を生きるために、人を要する。

のなら、
その人の今と関連のない、自分の仕事のスキル(講座)受講を、執拗に勧めたりするだろうか? 

何度もわたしは言われてきたことだが、「育児」をアイデンティティにすることが、恋愛から逃げていることだと本当に言えるだろうか?

目の前の人に寄り添うということは、どういうことなのか、心底考えたことがあるだろうか?

たとえば、今、世の中に多く起こっている いわゆる「不倫」などは、自分の目の前にある大切なことを避けたため、そこから逃げたために、恋愛を通して教えられることがあるということなのかもしれないと考えられないだろうか。
(*不倫を肯定も否定もしません)

自分を生きるために人生はあるのだから、努力するとか、恋愛するとか、しないとか、趣味があるとか、好きとか、嫌いとか、そういうことは問題でも優先でもない。

自分には尊厳があり、人格があり、
最も大切にしていることと同一化すること(=アイデンティティ)。

そのアイデンティティが自分という種となり、
芽を出し、茎を伸ばし
葉をつけ、花を咲かせて、実となる。

言わば、種を起点にして人と出逢い、人を引き寄せる。

自分が人を要するのは、
自分という人間の「今」を確認するため、
そして、時に助け、支えてもらうためじゃないだろうか。

わたしは、アイデンティティを何十年も持てたことを、今は誇りのように思っている。

何をするにも純粋な意図を考え、そこから行動するための「自分の声(種)」とつながれることを教えられたから。

  

「あなたのアイデンティティは何ですか?」

りんごろ

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