心理学、メンタル系に関わっていると
「わたしは十分に自分を見つめてきたし、もうわかっている」
「〇〇さんがいいって言ったから、いいと思う」
「すべてはこういうことだと知った」
なんてことはよく聴く。
まだ人生の半ばだと思うのだけど、もう悟ったのかい?
なにがそんなに分かったの?
とわたしは思う。
自分への期待や伸びしろはもうないって諦めているように
聴こえるんだよね。。。
つまんないって思う。
過去のこれまでの経験や分析、常識や良識、データや人に影響されたことで
自分を決めるのは
それは今にいながら
過去の人じゃん!って。
わたしは
ジタバタしながらでも
ドロドロになっても
それでも自分の道を見つけようとあがいている方が
人らしいな、好きだなって思う。
わたしは自分がこんな表情をするってことも最近知った。
自分のことは まだまだ分かっていないし、どんな道がこれからあるのかさえ知らない。
人生の意味なんてわかんないし
だから
人生の中で自分に問い続けるのだとも思う。
わかってはいないけれど
わかろうとしていないのではない。
扉を開き続けることはやめたくないなって思う。
長男が大学受験のとき
懇談で「今の成績では希望大学は難しい」と先生に言われたけれど
わたしは「受けたい大学は受けたらいい」と話していた。
んなもん、わっかんないじゃん♡
子どもの可能性を諦めない力はあっても
自分の力を諦める大人は多くいるんじゃないかなぁ、、、
自分の夢を子どもに託したり、ね。
わたしは子どもに言うなら
自分もそう在りたいって思う。
過去のこれまでの経験や分析、常識や良識、データや人に影響されたことで
自分を決めつけるなんて つまんない。
(気づいたらやってることあるけど^^;)
恋愛相談でもよく聴く。
「男性って小さくて、おとなしい女の子が好きだよねぇ」とか。
いつのデータなんだろう?
誰の言葉を鵜呑みにしてるんだろう?って。
小さくて、おとなしい女の子ってどんなだ?と思うし
わたしはおとなしい女の子なんて、見たことないけどねぇ
(高校の3年間は女子ばっかだったけど)
正しい、正しくない、正解、間違いというのはなくて、
そういう事実があっただけだよねぇ。。。
過去に引っ張られる必要はないと思うんだ、
たとえ誰に言われた言葉だろうとも。
参考にはしても、ね。
それは占いやセッションも同じく。
自分で人生を創っていきたいよ。
わたしは。