「つまらない」を見逃さない
幼い頃から「つまらなく」なったら、そのこと自体をやめてきた。
やめるとは、意識や考え方を変えることでもあるし、居場所を変えることもある。人との関係性の中で距離を置くこともあるし、今までやってきたこと(例えば仕事や学び等)をやめることもある。
その時、罪悪感を感じる必要はない。
何故なら、それらは人を変えることではなく、自分自身を変えることだから。
つまらなくなるとは、「自分自身に対して」なんだよね。
それは、「もう、そのステージは卒業。次なるステージへと行きましょう」という合図。(ステージという言い方は好きではないが、分かりやすいように使っている) 更にいうと「もっと幸せになる世界は別にあるよー」と教えてくれている。
やめどきというものが私にはある。それが夢中になれなくなったことを自覚した時。
誰かに言われて自覚することもあれば、鏡を見て「ブサイク!」だと感じて自覚することもある。私的な「ブサイク!」とは、本質とズレて今を生きていない表情=覇気がないという意味である。
「ワクワク」や「キラキラ」、それらの言葉を発していても【顔、疲れてるよね?】って瞬時で分かる時などもそう。 作り笑いや愛想笑い、身体の症状が出ている時も。「行かねば」「やらねば」の気持ちで動いて【学びがあった】と言い聞かせている時なんかもね・・・
結局 人間は「自分に(心にも身体にもエネルギーにも)嘘をつけない」。
シンプルで、よくできたシステムだ。
他人と比べるから「つまらなく」なる
自分とまったく同じ人間は存在しない。
「比べる」から、羨んだり、心配したり、執着したり、コントロールしたり、恨んだりするような感情が生まれるんだと思う。
上記のような感情に愛のエネルギーはない。
いつも愛で満たさないといけない、ということはないが、愛のエネルギーを少しも感じられなくなると、人は枯渇し、寂しさで覆われる。その寂しさは「愛」を「ない」に歪ませる。
在るものは在るし、ないものにはできないのにね。
ここから抜け出すには、感情の奥の【本質】に目を向けるといい
・羨むのは、自分がそうなりたいから
・心配は、本当なら信頼したいから
・執着は、惹かれてやまないから
・コントロールは、自分を抑えているから
・恨むのは、素直になりたいから
本質に目を向けたら、そこに愛をプラスしよう
本当は心から望んでいるから、そのものごと自体が目につくようになっている。
見たい映画のCMが目にとまる様に、好きな曲が耳に残るように、目の前に出来事は現れる。
そこで感情に覆われず、「自分こそ、そうなっていい!」と現実を自分に受け入れよう。
まず、人に起きた出来事でも、自分のことのように感じてみる。←やるだけはタダ、どこでもできる。
本質に愛をプラスするとは?自分ごとにしていくこと。
「そうなりたい!」なら
なりたいと思っている本来の自分と深くつながり、自分にこそ体験させていこう
そして、どんどん自分を気持ちよくしよう!←やるだけはタダ、どこでもできる。
・羨むのは、自分がそうなりたいから
ったら嬉しいか?事細かくイメージして体感する!
・心配は、本当なら信頼したいから
何を信頼すると、自分は安心できる?
・執着は、惹かれてやまないから
どこがどれほど好きか、好きで心を溢れさせよう
・コントロールは、自分を抑えているから
ひとつずつ、ベールを脱いでいこう。こっそり始めたらいい
・恨むのは、素直になりたいから
恥ずかしいことを並べて、少しでもできることから始めよう
「つまらなく」感じるということは、そこに「溢れる愛のエネルギーがない」ということ。愛のないエネルギーは、人生で足を引っ張ることはあっても、何かを与えてくれることはない。進むこともなく現状維持、もしくは少しずつ後退する。
比べると、ある愛すら「ない」に歪めていく。愛を感じられなくなるなんて、生きていて、こんな不幸なことはないだろう。
限りある時間にやりたいことは、本当にそれ?
私がつまらなく感じたこと自体をやめてきたのは、「限りある時間にやりたいことは、本当にそれ?」と自問自答してきたから。つまらないことに時間を割くなら、大切なことに注ぎたい。
特に自分の気持ちを落とすことに関しては、そのこと自体を考えないよう、見ないようにしている。
私のSNSなんて、食べもの、インテリア、コスメばかり・笑
病人の多い中で育ち、両親も早くに亡くすという境遇が、限りある時間の尊さを私に教えてくれた。
それを実行することが私の使命だと思っている。
で、私の「限りある時間に本当にやりたいこと」は これでした。
愛の温もりを目一杯感じること。
楽しいこと、面白いこと、ユーモアが暮らしの中に溢れる生き方をすること。
この体験をどうしても今回の人生でやりたかった。
ここを追いかけて、ずっと走ってきたのかもしれない。
不思議なことに、私の望む生き方をまんま見せてくれたのは「娘」でした。
師とは、先をいく人ばかりではなく、目の前の人!みたいなぁぁぁぁあ
人を愛し、信頼し、よく笑い、大事なことはハッキリと伝える娘!いつも気持ちよすぎ!
人との出逢いや巡り合いって、予想外だから面白いんだと思う。
たとえ親子でも、他人でも。
だから、つまらないことはやめていい。
そんなことに時間を割いてられない!
今、望んだ以上に、愛とユーモアに溢れている暮らしを実感している。
嬉しい誤算は
実践したら、まわりも同じような愛とユーモアに溢れた生き方をする人ばかりなこと
また、今の私だから生まれる望みをそのまま望ませて、予想外の次の世界を楽しもうと思う。