国語力は生命力

長男は「国語力」が抜群(らしい)。

これは大学受験の時も
先生方に言われたことで

バイトをしている塾でも
担当の生徒の成績をグングン上げている(らしい)。

言葉の使い方も適切で
ぐうの音も出ない、、、ことは多々あり、
親としては エゴが使えないと言う、、、w

親風吹かしてコントロール、
親の言うことを聞かせる、、、なんて
程遠い子育てだった。

使えるのは「お金の力」w
これは「使わされている」とも言える。

長男に「国語力」がある故、
次男坊も娘っこも
それが当たり前だと学び、

それぞれが口が立つ!弁が立つ!!

世知辛い子育てだぜっっ
なーんてね。

わたしの言いたいことを先に理解し
「母さんが言ってるのは こう言うこと?」

誰にでもわかりやすい言葉にするところなんて
「教師か!」と突っ込みたくなる。

反面教師ではないことを祈りつつ。

長男にはまだ言ってないのだけど
わたしは彼の「力」、
もしくは「才能」として感じていることがある。

彼は生まれてから
虫歯になったことがないのだけど

歯をきちんと磨いていたから、、、
そんな普通のことではなく、
「自分」の歯を大切にしてきた。

言い換えれば、
「自分」を大切にする力が
めっぽう強いのだ。

したいことをして
したくないことはやらない。

このスタンスは変えない。

「歯」が丈夫になったのは
食事は和食が好みで、
中学生までは睡眠も十分に取り、
(9時に寝ていた)
運動も好きな運動のみを続け、無理はしなかったからだと思われる。

いろいろとやり過ぎることもなく
止まることもない、
人に寄り添い、寄り添い過ぎず、

情報や環境、知識に流されず
適切には取り入れる。

ゲームもiPhoneも早くに触れているが
付き合い方も上手い。

自分という者がどういう人間なのか
手間をかけ、バランスを取り、
愛し愛されて、健やかなのである。

感心するほど。

母が亡くなったとき
母の「遺体」に触れて以来、
長男は、亡くなった人には
決して触れなくなった。

母に触れた後
ものすごい「じんましん」が出て
心身ともに 苦しんだから、、、ではないだろう。

いわゆる「ご遺体」には
もう魂は入っていない。

亡くなる何日か前には
もう魂は抜けているとも聞いたことがある。

そして「ご遺体」は抜け殻なので
逆にこちらのエネルギーを
奪われてしまうこともある、とも聞いたことがある。
(魂は入っていないから、その人の意図ではなく)

そういったものたちを
本能で嗅ぎ分けることができるのだと思う。

「ご遺体」は整えられて皆の前にくる。

そこに
「生命力」の塊を感じられない彼は
「抜け殻」と渡り合うことができない。

ただ、それだけのように思う。

でも「生きる」とか「命」には
とても想いが強くて

娘っこに彼ができて
その人が娘っこを泣かせるような
「生きる希望を失うような酷いこと」をしたら

神さまの罰なんて待たずに
「生きたまま埋めてやる!
最後の最後まで後悔させてやる!」と
冗談のように言うが

執念で呪い殺すような、
生きたまま地獄を味わうようにきっとするだろうから
人間臭いと言うか、生命力あるな、とも思う。

そんな人間の根底の生命の力を持って生きれば
なんだかその人の人生には
「光」が集まるように思う。

光は、眩しさと熱さで
闇をも溶かして(受容して)いくような。

自分の感性を信じるって
ものすごい「光」なんだと思うようになったのは
彼が身近で見せてくれていたから。

わたしの主観だけど。

長男に言ったことがある。

「自分がNOと思うことには、
誰が何と言おうと
例え彼女ちゃんでも従わず、

それを覆せるような言葉も紡ぎ、
そちらの言うことの方が真実だよね?と
相手に自然に思われるような
伝え方ができるよね?」と。

長男は一言、
「それが【国語力】なんじゃない?」

と、アッサリ言う。

自分をちゃんと生きてる
自立してる

って、どんどん強いエネルギーになると思う。
真っ直ぐな光を届ける太陽のように。

りんごろ

読んでくれてありがとう。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次