これでしか生きれない不器用さを、自分に与えよう。

少し疲れてたんだと知った。

2月に福岡に行ったとき
あまりにも細胞が喜んでいることには気づいていたけれど
何とも言えない雑多感が押し寄せていて

これは何だろう?と自問自答の日々が続いた。

言葉をそのまま色付けせずに
受け取ってくれる安らぎ。

久しぶりに
そんな数少ない友に逢い

志と愛と思いやりのつまった
おばんざいを食べながら
ただ ただ喋り、聴き合った。

遠い昔にタイムスリップしたような
すべてが新鮮な感動のような

透き通った空気に心が洗われ
真ん中の自分に
優しく誘われた時間は

これから最も大切にしたい時間だと
刻んでくれた。

どうありたいか?は
繋がり合える喜びを
カラダが
こころが
先に溢れさせて
自分に教えてくれるんだね。

ともに過ごしてくれた友に
心から感謝。

魂で繋がりあえる人を
わたしはずっとずっと探してたんだな。

そこで生きたいんだと
改めて知った。

そして
これでしか生きれない不器用さを自分にゆるそうと思う。

いや、ゆるすのではなく
与えよう。

これしかできない自分だからこそ
そんな自分を受けとめてくれることに
さらに喜びを覚えるわたしがいて

感情より先に涙がつたうほど
感動している自分に出逢えたことが、また嬉しい。

 

りんごろ

読んでくれてありがとう。

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