8月の終わりに、金沢に行きました。
パートナーの息子くんに会うために。
いやー、
緊張しましたよ。
行く間の緊張の中で書いた記事はこちら
↓
石川県の素敵な旅館「滝亭」
パートナーは、私の緊張を解すためか
とても素敵な旅館を予約してくれていました。
いつも
どのようにして見つけてくるのだろう?と
不思議に思うのだけど
本人曰く
「ネットを見ると勝手に上がってくる」と言う。
引き寄せなのか、広告に操られているのかw
こちらの旅館は、
住宅地の中を通り抜けた先の山の麓にあり
こんな所にあるとは!と少し驚きます。
隠れ家的ですね。
泊まった部屋にも温泉があり
目の前には川が流れ、
その音と鳥や蝉たちの鳴声が
更に癒やしてくれるので、自然に安らぎます。
大浴場の露天風呂の側には
山から流れ落ちる滝があるんですよーーー
なんかね・・・
緊張を抱えてる私を見透かされたかのような、、、
あなたの大切にしたいことはそんなことじゃないよね!
と言いながら
緊張を解し、背中を押してもらったように思います。
食事も、旬のもの、お肉やお魚、山菜や果物・・・
とにかく、素材にパワーがあり、豊富な味に満たされ、
ついつい食べすぎてしまうほどに、美味しかったです!
(梅酒にも心を奪われました!!!)
石川県に行くときは、どうぞこちらに❥
オススメです。
川端の湯宿 滝亭 https://takitei.co.jp/
「自由でいい」という変化
この旅で
わたしの中に大きな変化が訪れました。
それは
「自由でいい」
ということです。
元々、自由な方だとは思うけれど
私も親となり、責任も増えたから
知らず識らずのうちに抑えていたんですぅー。
幼少時のわたしは
自分の思いのままで生きていて
毎日、遊ぶことしか考えてなく
まわりを気にしたこともなく
野原を走り回るサルのようなオテンバ娘でした。
が、
ティーンになる頃には(中学生くらいから)
まわりに
「女の子らしく!」と
耳にタコができるくらい言われ続けて。
サルだったからねぇぇぇぇ
わかるのよ、わかる・・・
でも、「そんなにダメ?」という疑問はありました。
悪いことをしているのではなく
オテンバというだけなのに。
けれど、両親は一言も
そのようなことを言わなかった。
今思うと、
そのままでいさせてくれ、守られていたんだと思う。
思いのまま生きてきた私は
それ以降、
思いのままでいると誰かに何かを言われる、ということを学びます。
でもね
それが私という人間の源だから
表面的には隠したり、
まわりに合わせたりできても
本質的に変わるワケがないw
というか、
私たる源は変えちゃダメなの。
それこそ命だから。
私は、まわりが求める私も瞬時に感じ取り
(しなくていいんだけどね)
自分を消さない程度に、人と交わる術を身に着けていったのです。
術とは、後天的に身に着けた処世術ね↓
社会生活をしてゆく上の方策。世渡りの方法。処世法。
コトバンクより
それでも
「言いたいことを言う」とか
「ハッキリ言う」など
言われ続けているけれど、それでいい。
いや、それがいい!
そう言われることは自分を生きている証。
じゃんじゃんくださいって思うw
私たる源は
私でも変えられないのだから。
この命は、自分が創り出したのではなく
両親がいたから与えられたのであり、
その両親は、私を変えようとしなかった。
そのまま生きろっていうことだよね。
これを言うと
「両親に守られなかった!」
「両親は大切にしてくれなかった!」
と思う方もいるだろうけれど
どんなにイヤだった
親の圧力(という言い方をあえてしてる)さえも
両親にとっては、
その時のそれが最善と思うことだったり
それが両親の精一杯だったりしたんだと思う。
親だって完璧じゃない。
年齢を重ねていたり、経験が豊富だからって
器が大きいとは限らない。
(親になったからよく分かる。ふぅー。)
ここでは、両親に与えられた命だから
大切にした方がいいと言いたいんじゃなくて
何一つ欠けてもこの世のココに
「私」として生まれ来なかったのだから
自分を自分が尊ぼうよ!ってこと。
勝手に命を、世の中やまわりに合わせるなよーーー
守らなきゃ!まず!!!
私の言う「自由でいい」とは、命を輝かせること。
それは、後天的に身に着けた処世術で生きるのではなく
先天的な、自分だから備わってあるものに気付いて
存分に生かすことだと思っている。
せん‐てん【先天】 ① 人為の存する以前にそなわっていた状態。 ② 生まれつきそなわっていること。 本来身にそなわっていること。
コトバンクより
命の循環
パートナーの息子くんに会ったとき、
私の中の深くていちばん温かな場所=【HOME】
(ここは、魂や源、核、ソースという言い方もあるね)から
愛しさがこみあげる感覚がずっとあった。
「かわいいなぁ」ってね、こみあげるの。
今まで見えてなかった
パートナーの一面も見たように感じたし、
そう思わせてくれる存在の息子くんが
また更に愛しくなったり・・・の繰り返し。
そのうち、
息子くんは、パートナーと亡き奥様がいたから
ここに生まれ来たんだなぁとしみじみ感じはじめ、
奥様にも
奥様のお母さまにも、彼のご両親にも
愛しさがこみ上げてくる自分がいました。
ずっと彼を支えてきた人たちだからね。
そう感じていると
私とパートナーが出会うには
これまであった出来事は、何一つ外せないことも身に沁みる。
自分の人生も、
これまで以上に
もっともっと愛しく感じちゃって
その気持ちが止まらなくなるのでした。
愛しさがこみあげる喜びだけで生きる
私はずっと
争いや比較、競争や上下関係が苦手で
そのような空気を感じたり、
そういった土俵に
あげられてしまう感覚を感じた時点で
何も言わずに、身をスーッと引いてきました。
意識して
ちゃんと
それらをやり遂げていたと言ってもいい。
なぜなら、そこは愛しさがこみあげるような
私の心地良い感覚でいられないから。
自分を生きる場所ではないなら、
きっと、私には必要ではなくなった場所なのです。
親しくしていた人との関係が
疎遠になったり、変わってしまったりしても
それも成長の段階では自然に起こり得るもの。
寂しい気持ちを味わいながらも
自分を留めず、生かすことの方を選んできました。
アルプスの少女ハイジにとっての
クララのいるフランクフルトと同じ。
(逆にわかりにくい???)
どれだけそこに好きな人がいても
そこが自分の役立つ場所であっても、
私が私でいられなかったり
私に合わない場所になれば 病気になる
と
幼い頃から病人に囲まれて育った私には
強いサインがやってくる。
(元々はサルだからね、野生の直感w)
この強いサインも
私がこの人生を生きてきたから、
まわりの愛する人たちが教えてくれたから
自分に在る感覚=自分にしかない感覚。
こういった自分の感覚こそ、本質。
この感覚で、
もっともっと自由に
愛しさがこみあげる喜びだけで生きよう!!!
と、
この旅の帰りに、自分に誓ったのでした。
奇跡のような出会いを巡らせてもらったからね!
もっともっと自由に
愛しさがこみあげる喜びだけで生きるとどうなっちゃうのか、
自分の人生で実験する場です。
毎日、遊ぶことしか考えてなく
まわりを気にしたこともなく
野原を走り回るサルのように、楽しみます!