一昨日は
わたしには数少ない
気のおけない友とのごはん♡
偶然にも
子ども達を通わせた園が同じ3人。
友のひとりは
長男と同い年の子がいて
初めてのクラスも同じく「りんご組」。
りんごろの「りんご」は
長男と次男坊がりんご組になったことから
縁を感じて使いはじめたんだよね。
お互いに子どもの特性も
家族構成も知っていて
考えたらつき合いも長い、ふたり。
わたしを介して出会ったふたりだけど
気が合うことは
最初から知っていたように思う。
だって!!!
あの園を選ぶって そういうことだもの(*´艸`*)
(どういうことだ?)
その園は
子ども達の個性をまんま受け入れ、
過剰にかまわず、
とことん どろんこ遊びをし、
縦保育、地域性もいかし、母達の活動もさかん。
ここじゃなかったら
子ども達はどうなっていただろう?と思うほど
貴重な時間を過ごさせてもらえたと
わたしは思っている。
いつも一緒に子どものことを考えてくれ、
わたしより抱っこしてるんじゃない?と思うほど
子ども達とも触れ合ってくれた先生方。
ひとりで育ててるんじゃない、と心から知った時間。
結果が見えやすい数や文字、
何かを知っているなどの「認知的能力」ではなく、
将来人間が生きていく中で最も大切な愛他心、やる気、
試練を乗り越える力、自己抑制や忍耐力などの「非認知的能力」の基礎を
大切に培うことを保護者と共有し、
園と家族が手を取り合って子育てに励む「子育て村」を目指しています。園のホームページより抜粋させていただきました。
わたしは子育てに
すごく悩んできたとは思っていないが
時間もエネルギーもめちゃくちゃかけてきたとは思っている。
最近知り合った人たちには言われないが
約7年前までは、わたしは母としてだけで生きていた。
その当時はパートナーにも「母親であってほしい」と言われ続けていて
少し悲しい言葉ではあったのだけど
当時は押し殺し、誰かの願う姿を優先して生きていた。
だからカラダを壊して、
自分を生き始めるのだけど。
(そんなことでもないと変われない頑固者だったというワケ)
そんなわたしの変容も知っているふたりは
まんまを受けとめてくれている。
説明いらずで
思ったまま、気持ちのまま喋っても
何の曲解もなく、そのままをキャッチしてくれてることも嬉しい。
最近とくに思う。
言葉にしないとわからないこと、
伝わらないことってあるけれど
信頼や愛は
言葉や行動だけじゃない。
ハートが既に受信する。
会ってとても楽しい時間を過ごした後は
なんだか嬉しい気持ちで家に帰るし、
子ども達との会話も弾む。
仕事に対しても前向きになるし、
実際にはかどっている。
流れがスムーズ かつ スマート。
良い時間のエネルギー循環が
その後も続き、
影響を与え続けてくれる。
今の自分が深めていく「縁」というのは
そんな気持ちや
良いエネルギー循環を感じさせてくれる人たちだろうと思う。
感性が鋭くなると
逆に、
合わなくなる人、苦手だなと思うことが増えてもくる。
それも「今」は合わないというだけで
罪悪感を感じたりはしなくてよく、
自然の現象だとも思っている。
子ども達の幼稚園時代を思い出すと
そんなことは幼稚園レベルで既に知っていることで
あの頃のなーんも余計なことを考えないまんまの姿が蘇り
同時に笑けてくる。
あの面白すぎた姿。
その感性でいいのだなー
階段はなく、のぼり棒だけで登って辿り着く
ツリーハウス↑
ここに着くと
必ずドヤ顔をしてた年長時の娘っこ♡