連続テレビ小説「なつぞら」を観ている。
わたしにとってテレビは、いつからか自ら観ようとするものではなくなり
子どもたちが観ているから・・・目が向くものと変わった。
そんな見方もあっていいと思う。
自らの意志ではない行動や流れには、気付きや発見があり、
それは自分では考えもしないものだったりするから。
目の前の子どもが幸せではないのなら
その現実をつくったのは、本人でもあり、側にいる人たちでもあり、環境でもある。
だからこそ、子どもを「子ども」と思わずに
その人の真っ直ぐな声として聞いてあげることが大事だと、今朝の回では身にしみた。
心理カウンセラーとして様々な声を聞いてきたが、素直な声を言葉にする人は少ない。それは、寄り添って「声」を聞いてくれる人に出逢ってこなかったということが大いに考えられるし、そもそも自分の素直な声ってなんだ?と自分の声がどこにあるかなんて考えることもなかった人も多い。
自分の素直な気持ちは、役割の上での気持ちと勘違いしていることも。
人は様々な役割を担っているからね、その方が社会的にはうまくいくから。
親も、そんなことはなかなか教えない、、、と言うか、
親だって親事情でいっぱいいっぱいだったのだし、そんな風に子ども時代に育てられていないとも考えられる。
同じ人間として考えるなら、親も自分も同じでフェアなのだ。

だから親のせいにしたり、もしくは 子どものせいにしたり、
誰かのせいにすることで、自分を軽くしたり、クリアにしたりするのは
なんか違うとわたしは思ってきた。
自分が自分と交わり、自分が自分に問いかけ、自分が自分に教えられ、
自分が自分を愛で、自分が自分を励まし、自分が自分にメッセージを送り、
他人との出来事や、他人から受け取ってきた物事も、他人に教えられたことも、ひとりで感じる時間をもつ。
自問自答を繰り返し、自分が自分の腑に落とし、自分の心根が生まれくることを待つ。この問答の時間を経た人に人間味は宿り、言葉は生きる。

恋愛相談でも、LOVEカードトレーナー養成講座でも、
多く言われてきたことのひとつに
「そんな風に思ったことも、考えたこともなかった」が、ある。
そもそも知らなければ、知覚できない。
ふたりでいても、知覚できないことは受けとめきれないから
ひとりとひとりがいるようなこととなる。
誰かと交わって生きていくということは、
相手との違いを嫌うでも、合わないと決めることでもなく
最初に知ろうとすること、その人の真っ直ぐな声を聞いてあげること、なんだよね。
関わり、交わりはここから。
人は自分の意見を言いたい、聞いてほしいでいっぱいいっぱいなもの。
その間は、人と関係性を育むことは難しい。
大人でも子どもでもいっしょ。
その人の真っ直ぐな声を聞く、を意識したら
本当の、素直なその人と新たに出逢えるよ。
そして自分も素直になる。
それで初めて「ふたり」になれる。