恋の悩みはつきない。
究極、人はよいところも、欠点もある。
すべてを好きになれと言うのではなく、
最終的にゆるせるかどうか
が
恋愛に関してだけではなく、人間関係なんじゃないかと思う。
定年で離婚したご夫婦の話を長く聞く機会があった。
奥さんの方は、別れたいの一点張り。
経済的なことを考えて ためらっている様子。
ご主人の方は、不満を言ったらキリがないというような
奥さんが ゆるせる心境になるまでの時間を待っている様子だった。
それが何年も続いた後、
ご主人が「別れ」を受け入れると静かに決めた。
最期まで守ると決めたのに、そうできないことに申し訳なさを感じ、
何をしてあげたらいいのだろう?と考え、
すべての財産を渡し、経済的にもできる限りのことをした。
彼は、ほぼ無一文からまた生き始めた。
不平不満は口にせず。
男だなって思う。
いろんな感情を乗り越えて、
「俺の女だからいいんだ、
とにかくしっかり受け入れて、できることはやる。
俺よ、やりきるまで女々しくなるな!」
という俯瞰的な優しさ、
彼女が成長することを待ち、こだわらず見つめ続けた時間。
そして、いつまでも続ける奥さんのこだわり(ご主人への不満)を
これ以上持たせることは、彼女自身にも良くない、として
静かに決めたことも。
どちらにも対等に原因はあると思うのだけどね。
男って、それなんだろうな。
潔さというか、決めたことにメソメソしないというか。
たまに
奥さんの陰口をめちゃくちゃ言いながら
一緒にいる人もいるが、、、
あれは男じゃないんだろうと、わたしは思っている。
(それで納得する)
女は決める男を肚(子宮)で理解するというか
まるっと包めることが、ゆるしであり、思いやりなんだと思う。
それらをお互いがわかった上で「別れる」場合、
さほどもめることはないと思う。
もめるのは
男と女になりきれなかった「未熟さ」なんだろうな。
自分を大切に、自分を愛でる、ということはよく聞くし
わたしも伝えることはある。
それらと同じ意味として
自分を「いちばん」にしようとしなければ、と感じることがある。
言っていることは真逆に聞こえるだろうが
その居場所が大切で、大好きで、感情移入すればするほどに
人はいちばんというこだわりを優先する。
6月の地震のとき、
長男がなによりも娘をかばって動いていた。。。
それを見た瞬間、自分を「いちばん」にしようとしなければ、を垣間見た。
咄嗟だったから、、、
思ってはいたけれど驚いて行動できなかった、、、
そんな言い訳が通用する出来事なんだが
彼は自分を「いちばん」にしようとせず、
娘を優先していた。
それが正解と言っているのではない。
自分を「いちばん」にしようとしなければ、は
幸せになる勇気 なのだ。
それは する人、しない人 に分かれる。
わたしは恋愛相談ばかり聞いてきた。
アドバイスはほとんどしないが、それでもする場合がたまにある。
「今はできない」
「あなただったらできるだろうけど」
「いつかはしようと思っている」
そんな返事が還ってくることは多い。
しないじゃん、って話。
幸せになる勇気を出さないって言ってること。
気持ちを伝えようか迷っている、ともよく聞くが
今の関係が壊れることも恐い、と言う。
振られて傷つくのが恐い、、、とかも。
しないじゃん、って話ね。
幸せになる勇気を出さないって言ってること。
自分(のこだわり)を「いちばん」にしちゃったねぇぇぇ
それはそれでいいとも思うけど。
ある女性が
家族のように大切な人の奥さんが
もし目の前で車にひかれそうになったとして
自分は身をもって助けるだろうか?と考えたとき
(そこまで考えることがもう既に、、、と思うけど)
「助ける」と思ったそうな。
その投稿を見たときに
彼女なら助けるだろうな、ってわたしは思ったし、
彼女を知っている人なら 誰しもが同じように思ったと思う。
人柄を考えたらわかる。
人の心が動く、惹かれる瞬間って、そこなんだよね。
出会いがない、ともよく聞くが
心が動く瞬間って
地震のときに
ある男性がなによりも先に自分をかばって動いていて
いつもは何とも思っていない同僚だったけれど
「まさかわたしのこと、、、、好き?」と考え始めたら
それが気になって、いつの間にか頭は彼のことでいっぱいになる。
目が追いかけてしまう。
お礼にランチ誘ってみようかな?
ただ助けただけかもしれないし、確かめてみようかな?
そんな感じから始まるんじゃないかなぁ
幸せになる勇気は
不安と自己信頼のどちらもで揺れ、
それでも自己信頼で満たしていった本人の行動力が
現在という時間に刻まれる「生」もの。
わたしのアドバイスを聞いてる時間も
迷ったりするその時間も命取りになるくらい
今、動きましょーよ、って話。
まあ、、、、、結論的に言えば
動かないってことが
やってみるほど 好きじゃないというか。。。
やってみたら、好きなのかどうかもわかるのに。
逆に、やるから 好きじゃない、ということもわかるんだけど。
わたしは【裸エプロン】をやったことがある。
と、友たちに言ったら
一瞬ドン引き、その後大笑いだった。
これはある意味、賭け。
パートナーが心身ともに仕事で疲れているのか、
わたしから心が離れているのか、
どちらにせよ、
いろんな方向から、距離を縮めようと必死だったのだ。
時間は「生」ものだから
何でもやる。
そういうことが面倒だと、見過ごして過ごすのは
わたしには死んだように生きろと言われているようなもので。
「やめろよ、恥ずかしいよ!」
と言われたら、
わかりました、と
ひとりで元の服に着替えればいいだけの話だもの。
それで重いと思う人なら、そこまでの仲かもな、と思える。
とにかく!!!
やるだけやれば
(裸エプロンを勧めているのではない)
振られようとも、別れようとも
少なくとも、
そこで澱んで止まっていた空気は動く。
でね
行動に起こすということは、
その人を想っているということなの。
これはなぜか
相手のハートの奥に伝わり、温もりを与える。
じわじわ発酵していったり
細胞に浸透していくのは、、、行動に起こしたことなの。
テクニックとか策略とか、そういう行動は
自分を「いちばん」にしようとしなければ、
に入るので、何も残らんよ。
むしろ、バレたら嫌われる確率高し。
長い年月をともにしていくと、
人はよいところも、欠点もあることに気づき
最終的にゆるせるかどうか、、、、、、、
になるのかもしんないけど
相手のハートの奥に伝わり、温もりを与えたものは
一生モノの生ものとして、生きて残る。
良きパートナーシップを築いている人たちが
愛で満ち溢れているのは、そういうことだとも思う。