自分の輝きで 人と心から寄り添うことができる

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こちらの記事↑には いろんな反応をいただきました。
ブロガーとしては嬉しい限りです。
読んでくださってありがとうございます!

自分に合わないことは避けていい
ということは
本音や自分の感覚を大切に♡
と言うことです。

自分のその感覚は
自分だからやってくるメッセージだから。

たとえば空を見上げて
太陽の眩しさを感じる人、雲のカタチが気になる人、空の青さに惹かれる人、
それぞれ。

感じることは同じじゃなくていい、ということ。

上記の記事で書いた、
力や人気、成功している人などの光を求めることを
悪いと思っているのではなく、

わたしは苦手だという感覚に
正直でいる、だけです。

そこに同調せず、交わらずにいることが
わたしにとって「自分らしい」から。

力や人気、成功している人などの光を求めることは
あることだと思う。

わたしもソー(クリヘム)↓が好きだし、
元気をたくさんもらってる!
★画像はお借りしました

ただ、自分を喜ばせることはあっても
それで人と比べたり、争うことは、ない。

わたしが苦手だと感じるのは
いたたまれなくなる、、、から。

比べて、争って、切磋琢磨する
スポーツや技術向上等は素晴らしいと思う。

でも、なんとなく
自分のもの!
自分たちだけのもの!

比べて、争って、囲うようなことは
何もそのセカイには入ってこないように思う。

進化がみられないというか、、、

そして
自分のもの!と思いたいときほど
人を遠ざける。

寄り添う人がいてほしいから、
囲ってしまうのだろうけど
囲うと進化を妨げ、人を遠ざける。

要は

争うことで、何かを得た気分になるだけで
結果、人を遠ざけることになり
本来望むものからどんどん離れる。

人が離れるから、また光を求め繰り返す。

比べたり、争ったりすることにアドレナリンを出すから
脳は錯覚を起こして

誰かと比べ、争う状態が必要になるし、
争う人を常に探すことにもなる。

それが
本来は望んでいないことだろうと思うから
いたたまれなくなる、、、のよね。

自分の輝きで
人と心から寄り添うことができるのに。

自分の子どもがそうだったら、、、
と思うと

わたしは
「一度、人から離れて(争わないで)ただ日常を過ごしてみたらいい」
と言う。

なんにもしなくても
輝きは日常の中にたんまりあるから。

それが脳の錯覚で
どうしてもできないんだなぁと思えば

わたしは
自分には合わないから避けていい
と行動に移すだろう。

 

本音や自分の感覚を大切にすることを
恐れなくて大丈夫
自分が体現して見せるしかないんだと
わたし自身は思いながら。

りんごろ

読んでくれてありがとう。

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