自分のエネルギーは 巡り廻って自分に還ってくる
わたしがよく言っていること、、、なんだけど
これには苦く重い経験がある。
幼少の頃のわたしは、まわりに病人が多く
母は仕事や看病、病院通いと忙しい日常を過ごしていた。
その病人の中に父もいたので、家の中は安心できる場などなかった。
そんな毎日だったので、
母に頼ったり、相談したり、ゆっくり話す時間などは皆無で
だけども母が、子どもを大切に想う気持ちは十分に伝わっていたから
母に心配や迷惑だけは かけないようにしなくちゃ!と思ってきた。
いや、そう自分に言い聞かせて頑張った分だけ、
自分が子どもを育て始めてから、、、
頼ったり、相談したり、ゆっくり話す時間は、少しだけでも取れたはず!
という母への思いもどこかで膨らんできて・・・
福岡に帰省していたあるとき、
母とゆっくり話せた時間がやってきたときに、母に悪意をぶつけて
爆発してしまったことがある。
もう自分が体力的にも、心身的にもいっぱいいっぱいだった、その頃。
元パートナーとうまくいってなくて、
それをわたしのせいだと一方的に押し付けられたときに、
信頼がそこにないことに わたしは耐えられなくて、母にあたった。
母はどれだけ忙しくても、わたしを信じてくれていることは知っていた。
だから子どもの頃、どれだけ頼り、甘えたいか、という気持ちはあっても
信頼されない感覚は感じたことがなくて、
わたしは「共に生きる」ってどういうことだろう?と
叩きのめされたような気持ちになり、覇気を失ってしまっていた。
自分でも何を言いたいのか分からないまま、
「話も聞いてもらえず、行きたい学校すら行かせてもらえなかった」
と、母に悪意を思いきりぶつけたのだ。
母は、沈んだ顔とわたしへの愛情に満ちた顔の両方の表情をにじませて言った。
「ほんと自分のことで必死だったよね。
成績も良くて 行きたい学校があるって言ってたのに、
聞こうともしてあげなかったことはとても後悔してる。ごめんね」
謝ってほしかったんじゃないことと
わたしの悪意が母を傷つけたことは、分かった。
母が涙をためていたから。
決して流しはしなかったけれど。
そして、わたしを温かく見つめ続けてもいた。
そのときに思った。。。
元パートナーがわたしにぶつけた言葉も、悪意に満ちていたが
ただただ いっぱいいっぱいだっただけなんじゃないだろうか。。。
ぶつけられたわたしは 受けとめきれずに、
その悪意のボールを、まるで正当化するようにして
母に代わりに投げてしまったけど、彼もわたしに投げただけなのかもしれない、、、
すごくすごく気分が悪くなった。
母はわたしから投げられた悪意を、代わりに投げる相手は多分いない。。。
(ひとりで暮らしていたし、決して人に悪意を投げる人じゃないから)
わたしだったから、その悪意も受け入れて
それがまたわたしに巡り廻って還ってくることを、止めたんじゃないだろうか。
この子に廻るくらいなら、わたしが全身で受け入れて、止めてやる!と
母ならそれくらいやってのける。
それからのわたしは、ずっとそのことが心に留まってあったので
できるだけ母に電話をかけて、声を、気持ちを聞き続けた。
せめてもの罪滅ぼし。
母は「電話をかけてくれる気持ちが嬉しい」とか
「孫が可愛いのは、責任がないからじゃなくて、子が可愛いからだ」と
よく言うようにもなっていた。
子どもが親を思う愛は、親が思うものとは比にならない、、、
だから、わたしは子に与えたらいいのだとも思うようになった。
恋愛相談が増えた頃から
「愛」ってなんだ?って自分に問うことが増えた。
「愛される」ことを望み、
「愛する」ことには条件がつく。
あなたはわたしを大切に想ってくれているか、
自分を理解してくれるか、
認めてくれるか、
なんでも話してくれるか、
それらを自分の分かるように、納得するように感じさせてくれるなら、
それを「愛」と呼び、
それらを見せて、感じさせてくれないなら
傷ついた、悲しかった、心が折れた、と
怒ったり、責めたり、「愛」がないと恨んだり、
相手が嫌がることを自ら言ったり、嫉妬したり、心を閉ざしたり、
距離を置かれたらSNSでぶちまけたり・・・
それって「愛」?
悪意を正当化して、目の前でわたしは母を傷つけたにもかかわらず、
母は、わたしを見つめ、謝り、
それからも温もりを与えることを絶やさなかった。
それより
「年々、体力が落ちてきて、なんもしてあげられんようになってきた」
と、残念そうに言い、
与えることが少なくなってきたことを
母の悲しみなんだと痛いくらいに感じるようになった頃、
母は本当にこの世から去った。
わたしは幼少時に、
まわりの子どもたちのように頼ったり、甘えたりはできなかったけれど、
それは自分が心で決めてやっていたことで
母からは、いちばん大切なものを与えられていたことに・・・
ようやく気づいた。
幸せになる責任が、自分にはあると
なんだかものすごく思った。

そして、こんな風に愛を与えられることが
心から満たされ、
誰かを愛することができるエネルギーになると思うようになった。
愛するって与える喜び。
でも、心に本物の愛が注がれていないと、そんな力はわいてこない。
だからすごく迷い、悩み、欲するんだな、、、と。
恋愛相談が増えていったときも
LOVEカードを伝えるようになったときも
なんでわたしがLOVE?と思ったことは多々あった。
自分のエネルギーは 巡り廻って自分に還ってくる
この苦く重い経験から感じたことを糧にして、
母の愛のような循環ができる人でいたいし、
愛の奥深さこそ、生きている間に感じてもらいたいと願う。
そんなサポートなら、わたしにできるかもしれない。