この記事では↓距離感について記しました。
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今回は、
距離感の近さを求めたくなるとき=自分の心との距離がいちばん離れている時
本当は、ものすごく「さみしい」という自分からのメッセージと
どう向き合ったらよいか?について深めたいと思います。

自分の心の中には、
「さみしさ」や「悲しみ」、「怒り」、「嫌な記憶」、「モヤモヤする感情」も
沈んでいます。
それらは自分の中の恐れでもあるけれど
永遠に続くものではありません。
「恐れ」を握りしめて、自分の元に置いてしまっているのも
また自分なのです。
終わりとともに始まりはあり、
人生の道は必ず再生する。
新しいことは始まるのだから、
すがるように「恐れ」を握りしめなくても大丈夫だということを、
まず、知りましょう。
握りしめてしまうのは
二度と傷つかないように、自分なりに守っているんだよね❥
でもね、
握りしめているどんな「恐れ」の中にも、望みがある。
望みがあって、その時には叶えられなかったから
「恐れ」に変わってしまっただけ。
逆に「望み」の中にも恐れはある。
長所は短所でもあるように、恐れも望みも表裏一体です。

なぜ「さみしさ」を感じてしまうようになったんでしょう?
本当は「温もりを感じたい」のではないでしょうか。
「温もり」や「優しさ」を、自分にも相手にも見出していたのに
どちらからも引き出してしまったものが
「さみしさ」だったんじゃないでしょうか。
ほんの少し、素直になれなかったことが・・・
二度と傷つかないように守った傷が・・・
比べて争ってしまったことが・・・
誰からも距離をつくってしまい、
より孤独を感じて「さみしさ」が際立ってしまったのかもしれません。
けれども人間は、
そのような体験をしてはじめて、
本当の人の温もりに気づくのだとも思います。
「さみしさ」を感じ、「さみしさ」を学ぶから
自然に寄り添い、言動に温もりが宿る。
気持ちに少しでも嘘がつけなくなるから、
心から素直になる。
温もりや やさしさに頼り、甘え、
自分がどんな状態だとしても、
たとえみじめに感じることがあったとしても
頼り、甘え、
愛を自分の中にそのまま受け入れるから
愛という温もりに触れ、愛を知ることができるのだと思います。

嫌な出来事もさみしさも怒りも、
悪いものじゃなくて
愛を受けとる学び。
どちらも表裏一体。
「愛」に温もりが宿ってあることを体験するから
「愛する」こと自体が、自分までも温めることを知る。
「恐れ」の中にある、自分の本当の声、
それを自分へのメッセージとして受け取っていくことを続けると
「恐れ」はこころに温もりを育ませてくれるレッスンだと知り、
自分の思考まで温かくなり、
やがてあなたの視点も言葉も、愛からの視点と言葉となり
関わる人たちにも伝わり、愛の循環の中で生きるようになります。
もっと自分の腑に落としたい!と感じる方は
こちらにご参加くださると、
「自分の納得するカタチ」で心に浸透することができますよ。
