手放しは進化の際には必ず起こる
どうしてこんなにも握りしめてしまうのか・・・
と思ったとしても
温かな視点から見つめ、
自分の中のいちばん温かな場所から言葉を紡ぐと
自然にゆるみ、解れていく。
このような場面を
仕事でも、相談でも
何回も体験させていただくと
大体、半年に1回くらいのペースで
自分にも同じことが起こる。
その度に手放すことがあるんだなぁ、と思う。
無意識に負荷をかけていたというか。
そこが慣れていて
当たり前になっているものほど 手放すことは難しい。
そこに ものすごく安心していた自分さえ忘れてしまうほど
当たり前になっていれば、いるほどに。
終わりが見えるとき
9月、
子どもたちふたりにPCR検査の陽性反応が出たとき、
濃厚接触者として約1ヶ月うちにいて、
大きくなった子どもたちと
こんなにもベッタリ過ごすことはもうないんだろうな、、、
と思うと同時に
これが神さまからの最後のギフトなんだろうと感じた。
当たり前に側にいて
当たり前にある子どもたちとの暮らし。
9月のあるとき、
お風呂に入っていたらふと、
リビングから子どもたちの大きな笑い声が聞こえて 涙がとまらなくなった。
というか、
嗚咽・・・
むせび泣いた。
わたしは、
この笑い声たちにずっと励まされてきたんだな、と。
育ち合ってたつもりだったけど、
わたしの方が無条件の愛で背中を押されてたわ・・・
そこに改めて気づいたら
側にいてくれたことに感謝が溢れて涙がとまらなくなった。
あぁ、これでここは終わる。
終わりを丁寧に受け入れるときこそ
今も 子どもたちは目の前にいるけれど、
精神的にきちんと終わりを受け入れたら
エネルギーは確実に変わり、
子どもたちは自分の生きる道をものすごく楽しそうに歩み始めた。
特に娘。
まさかの
自分が握りしめていたから
相手の成長やエネルギーを奪っていたかも!的な気づき!
(まわりは分かりきっていただろうが)
これ、、、
離婚の時もやったんだった。
まず、私が終わりを丁寧に受け入れる。
自分の中で湧いてくる感情を味わいながら
終わりの儀式を行うことで
その後の関係性はすこぶる良くなる。
つまり
これまでいたポジションではなくなることで
互いが互いのあるべきところに行ける。
時に人は【終わりを感じたとき】に
これがイヤだった、とか
合わない、
忘れないで、
責任がある、
自分がいてあげなきゃ、
相手が別れてくれない、とか
これまでの想いとポジションを
握りしめたままだったり、
お金を少しでも多く、
もらえるもんはもらう、とか
放すよりは物質的なものも
握りしめてしまうこともあるけれど
それらは自分を幸せにはしてくれない。
何故なら、
そのポジションに自分が居続けて奪っても
まわりの人も、エネルギーも、出来事も、お金も、
すべてポジションを変えられないから同じことを起こすしかないし、
存在への感謝という視点も忘れてしまう。
終わりを丁寧に受け入れるときこそ
温かな視点から自分を見つめ、
自分の中のいちばん温かな場所から自分に言葉を紡ぐと・・・
自然にゆるみ、解れていく。
これをやると、
何故、関係性が良くなるかというと(別れたり、離れたりしても)
それは、
自分と同じように目の前の人も乗り越えてきたんだな、と
つらさや苦しみを理解し合えるポジションに変わっているから。
手放すと入ってくるよー
とは
お金では買うことのできない
これまでよりステージアップした分かち合いと信頼が育まれる。
だから次へと進めるし
そこにずっと留まらない方が飛べることを知れる。