ご縁が深まるとき、ご縁が遠ざかるとき。

Facebookさんが立て続けに5年前のわたしを見せてくれた。

 

自分で見てビックリ!なわけですよ。
なんじゃこの顔は!みたいな。

わたし・・・どこに向かってたんだろう???みたいに思うから。
確かに「わたし」なんですが。

自分を知らなさすぎた、の一言です。
だからこそ、この5年の歳月の時間の重みを、今感じられる。

心が渇いたときこそ、ひとりを味わう時

いちばん大きな変化が訪れたのは、
子ども達がすっかり成長し、

わたしが自分に無意識に化していた重圧を
彼等が成長を通して拭い去ってくれたことだろう。

自分でもここまでとは自覚していなかったけれど(当時は)
離婚で子ども達の幸せを奪ってしまったという罪悪感をものすごく背負い、
自分のこれまで と これから に迷いが沢山あったのだと思う。

無意識、無自覚は、その後『無力感』となって自分を蝕んでいく。

けれど過去に後悔はなくて
どんな時も自分なりに目一杯考え、決断して生きてきたことを
とても愛おしくも、大切にも思っている。

だから今がある。

自覚していない、自分を知らない、ということは
こんなにも何かに依存した顔をしてるんだと、ぱっと見て思った。

これでいいのか迷いがある・・・
誰かに答えを与えてもらいたい・・・

そんな
自分に自信のない、
魂が表情に宿っていない表情をしている。

でも、人生にはそのような時期は必ずあっていい。

人って追い込まれないと、変わらないものだから。

そつなくこなせたり、適応できたり、頭が良かったり、認められたかったり、
プライドが勝ったりする場合、自分を変えることは難しくなる。

自分を変えていくということは、今までの自分を手放すこと。
暮らしや根本や思考が変わることを自分にゆるすことである。

 

心が渇いて初めて人は
何もしない時間を、
自分を見つめる時間を、
自分のためにつくる。

まずは自分を責めるのではなく 自分を愛し、ゆるしていくために。

  

みじめさ、ひとり、を感じることは大切なこと

わたしは友人に
「りんごろみたいにひとりになって、みじめになりたくない」と
ハッキリと言われたことがある。

ものすごく真剣に考えた。
友人の言葉だったからというのもある。

でも、どれだけ真剣に考えても
うまくいかないと分かっている関係を続けたり、
今が壊れることを恐れるあまり、これまでと変わらずに過ごすのは
自分に正直なことではないと思えた。

子どもが成長するように
人は変化に備えていくことの方が自然。

安心や拠り所も、人がただ与えてくれるものではなく
自分の中からつくるもの。

ひとりはみじめ、ではなく
人間はひとりで生まれきて死んでいくことを自覚すれば、
ひとりの時間を持つことが自分とつながること、
だからこそ、人とのつながりを大切にすることがより理解できる。

ひとりって、
自分って、
尊いのだ。

  

調和とは整うことも崩れることも含める

調和とは
バランスが整うことも
またそのバランスが崩れることも含まれている。

だから
自分のバランスが崩れることを迎え入れる時は自然に訪れるし、

人生はそうして
自分という人間を変化・進化させていく。

 

いつも整っているのは、もう老人だよね。
というか、悟りの域。

でも人は、
バランスを崩してしまうことを恐れ、
揺れに揺れることや、自分を見失うような時を『みじめ』だと思い込む。

つまり弱さを見せることを恐れている。

のだが、

良きところもあれば、弱さもある。
そのすべてを愛すること、愛されることこそ『調和』の源。

良いところだけ見せようとするのは未熟だからで、
本当は知ってるよね?

生まれきたときは自分をさらけ出し、
すべてのお世話をしてもらってきたことを。

人とのつながりは、そこから始まっているのだ。

 

出来事のすべてが予定調和、予想内って、
自分は安心かもしれないけれど
自分だけのコントロール欲だったりする。

そして、人が自分から離れていく時というものは
そのコントロール欲が全面に出てしまっている時。

人は自分のすべてを受けとめてくれる人といたい❥
本来の「安らぎ」はそこだから。

 

 

変化とは、
必ず幸せになるための道なんだけど、心細くなったりもする。

未知だからね。

自分の気持ちを落ち着かせようと瞑想したり、
だから!人がいてくれたりもして、

一緒にわらったり、食べたり、
真剣に話したりもし、
時に肌の温もりを感じたりすることも大事。

 

失敗とか 傷つくかもとか
あって当たり前の不安で

それでも心が動いてしまう衝動が訪れ、
その気持ちに素直になることが人生の喜び。

 

バランスが崩れることを迎え入れる時は、いつだってふいに訪れる。

その時々、瞬々に必要な出来事、
必要な人との巡り合いも必ず起こってある。

ご縁が深まったり、遠ざかったりすることも調和の一部で
それらは、自分が人生で望んでいる方向への「手解き」なのだから
ただ感情に流されていてはもったいない。

すべては自分の人生のために
自分が心の奥深いところで望んでいること。

そう思って「ご縁」を見つめるといい。

 

そして、変化・進化に向かうあなたに人は惹かれ、共感し、
自然に集い、共鳴し合うのである。

あなたの廻りのご縁は
あなたの心の源が元になっている。

りんごろ

読んでくれてありがとう。

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