「愛する」から「愛を受けとめる」という心が養われる

今、とあるコンテンツに記事をアップしています。
そちらにエネルギーを注いでいると、自分のBlogがおろそかになるという、、、

なんとも分かりやすい性格だな、と思います。
でも、書くことがやっぱり好き。
改めてBlogの楽しさを感じているところです。

先日、質問家のマツダミヒロさんのBirthdayPartyが素敵な会場で開かれました。
わたしはパーティーが昔から苦手で、
どちらかと言うと避けてきたタイプなのですが、

心が繋がり合う人たちの集いは、
見ているだけでも とても幸せになりました。

その場のエネルギーは、自然に纏ってしまうもの。

日常のなかでも、どんなエネルギーの中に身を置いているか?
自分はどんなエネルギーを発しているのか?

は意識できるので
大切にしようと感じました。


12月、わたしは断捨離を意識して過ごしています。
モノの断捨離だけじゃなく、目に見えないものの整理も、、、です。

例えば、お付き合いや「〇〇せねば」という理由で出かけていた集いなど
限りある時間を大切にするという意味で、
もったいない時間の過ごし方はしないことにしています。

iPhoneやパソコンのデータも、
ワクワクしないものは処分しています。

そこに(自分の)愛があるかどうか、を再度意識しています。


BirthdayPartyでとても感じたのは
「大切なことを大切にする」ということ。

わたしが何かをやるときに忘れたくないのは
ど真ん中の想いですね。

恋愛相談を聞いて思うことも、同じです。

なんだか素直じゃないなぁ、、、と思うときは
大抵、ど真ん中の想いを置き去りにしています。

するとどうなるか?というと
外側、表面のみを繕うことにエネルギーを注いじゃうので

自分の大切など真ん中の想いを忘れていくんです。
それは「ど真ん中の想い」を届けられないことになるので

結局、相手とはうまくいかなくなる、
それは「大切なことを大切にする」をしないことなのです。

自分を大切にしない=相手も大切にできない

だから、失ってしまう。
(;_;)


「大切なことを大切にする」というのは
大切な人を大切にすること。

大切にしていたら、それは相手にも伝わり、
相手も大切に想って、大切にしてくれる。

愛するって
それらを起動し、循環させちゃうことだとわたしは思っています。

愛される価値があるのだろうか?
わたしが愛していいのだろうか?
そんな思考は関係ないことで

愛することで人は誠実になり、
愛する喜びを感じながら、自分の深い魂の想いに生きる。

愛するから
愛を受けとめるという心が養われ
愛される体験を自分に重ねることができる。

とってもシンプル。
(長い間、恐れから忘れていたわー)

そして
それらを人生で実践している人のまわりには、
自然にそんな人が集う。

Partyはまさにそんなエネルギーの空間だったと感じました。

体感するって宝だね!
カラダにしみこませることができるから。

あーよかった❥素敵だった!

終わらず

自分が日常で実践すること、
そこをわたしは大切にしたいと思います。

この日、司会をさせていただきました。
その時のカンペもしっかりと写真におさめられていましたw

こんな細やかさに気づくPhotographerが
仲間のしゅうしゅうこと上田修司さんです。

司会と言っても、周りに助けられてできることなので
スタッフのみんなには感謝しかありません。

そして
人生ってよくできてるなーと思ったのは
元パートナーは、何十万、何百万人の前で話し、
司会も行う仕事をしています。

同じようにはできないけれど
どんな心がけをしていたか、何を大切にしていたか、
自分の体調やコンディションをどう扱っていたか、などは
側で見てきたからこそ、とても参考になりました。

拙さはあれど、学んだ在り方は実践できるんだと思いましたね。

この幸せなエネルギーの中にいれたことも感謝です!

さて、わたしも・・・
大切な人の生まれきた日を心から祝おう!と心に誓ったのでした(*´艸`*)
(ええ、今から相手を探しますが・・・何か?)

りんごろ

読んでくれてありがとう。

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