9月は、次男坊と娘に、PCR検査で陽性反応が出た、というところから始まった。
起こったということは、何らかの意味がある
え? なんでうちに?と不思議に思うほど、
周りに陽性者がいなくて、
それでも起こったということは、何らかの意味があるのだろうと考えていた。
こんなことをわざわざ公表することもないだろうに、と
自分に対して思わなくもないが
私は、人に何かを言われるとか、
どう思われるのだろう、という感覚よりも
私が何を思い、何を感じ、どう受け入れて、自分の気づきにするのか?が大事。
図太いのかもしれないが、
幼い頃から病が目の前にある環境で育ったから
【自分にも必ず死は訪れる】いう感覚と隣り合わせで生きている。
だから目の前のことに対して適当ではいられない。
何かある、と感じたら、そこから目が離せないし
ましては蓋をしたり、見ないようにする方が、私にとっては難しい。
という生き方が、私なのよねぇぇぇ
娘の急成長
今思えば、9月のひと月で、
次男坊と娘はすこぶる成長したように思う。
思春期の娘は、
それまで感情に振り回ることが多く、
事実よりも、周りの意見が優先で、
人と違うことはいけないと感じながら
人をさほど気にしない私や長男に対しては
徹底して反抗する、というところが多くあった。
でも、そういう時期はティーンには必要で
人に合わても、合わせなくても、
どちらにしても最終的には【自分はどうしたいか?】に向かうのだから
反抗はすこぶる順調な成長だと私は捉えていた。
それがあるということは、
大切にしたいことがあるということだから。
いちいち反抗される私としては、
めっちゃ腹立つことも、落ち込むこともあったけどね。。。
極道りんごろ?!
娘は陽性反応が出たことを
仲の良かった友達にボロクソに言われ、
その親にLINEで脅され、学校にも抗議され、
先生にも相談を突っぱねられて
「安心して学校に行く」という、
最低限の尊厳を犯されたからこそ
自分の中で
『感情は揺れるもの。でも、私はどうしたいか?』を
自分で見出す力を身に付けた。
連日泣き続けていたから、
目は腫れあがり、表情は乏しくなり、見事に不細工になっていたけどね。
ストレスって顔も変えちゃうんだよねぇ。
その時、私は娘に言った。
(言い方酷いですw)
「どうしたい?
その友達を潰したい?
その親を潰す? それとも先生?
もしくは学校をやめる?
転校する???
環境を変えていいよ。
これまでは、
あなたが学校生活を楽しく送れるように
という一心で
ママはすべてを飲み込んできたけど
あなたがいいなら、暴れるで。やるで。
捕まったっていい。
どこにでも出て、何でもやるよ。
精神病んでましたって こっちが見せるよ」
私は人を尊ばない、ということは受け入れない。
怒りを出す時があるとするなら、このような時だと思っている。
覚悟を決めるという、決めどころには、こういう時があると思っている。
だから人にどう言われてもいいという気持ちも持っている。
自分の本音の感覚を信頼する
でね、娘を ものすごく愛しく感じたの。
それから娘は何をしたか?というと
【自分からは決して近寄らない】
(イヤな想いをした相手に)
というマイルールを作ったよう。
苦手な人から離れることに、罪悪感を感じなくていい。
というか、
苦手と感じるのは、自分とエネルギーが違うというだけだから、
いずれ合わなくなるということは、互いに気づくもの。
人との関係において、
最低の場合のルールが自分の中にできたことで、娘は楽になったようだ。
それからはまるくなり、
イガイガ反抗期が終焉を迎えた。
これにより私は、
親としての大きな役目も終わりを告げていることを感じたのであった。。。
だから、名前変えたんだよね、わたし。
中島という名字は、
私に【お母さん】という
尊くて小さな頃からの夢を与えてくれました。
中島に感謝なのです。
そしてそして
迎えてくれる【はら】さんにも感謝なのです。