カウンセラーなんていらない、 身近な人とで癒しあえる。

週の始まりは
わたしにとっての「静けさ」の到来。

お弁当を作って
子どもたちを送り出してからの時間は
瞑想から始まる。

 

 

わたしがこれまでの人生の中で
最も多くのエネルギーを注いだのは
「パートナーシップ」

最も多くの時間を注いだのは
「子育て」

でも「子育て」はやがて終えるから
順はまた変わるのだろう。

 

「子どもたち」がまだ幼い頃
世話したり、養ったり、
時に 導いたりすることが「子育て」なのかな?と思って
責任感を勝手に背負っていたこともある。
(今も多少はあると思う)

でも
子どもたちに、逆に教えられたのは

「そこに愛があるかどうか」

子どもっていうのは
すごく、ものすごく感じている。
それはもう、肌で、細胞で、ミトコンドリアで。

「そこに愛があるかどうか」
それだけだと言ってもいい。

 

だが、
親の方が心を閉ざしている部分があるとしても
それをもそのまま受けとめる。

責めたりもせず
冷静に見て、そこにいてくれる。

 

 

だからわたしは
大切なことがあれば
まずは子どもたちに話してみて
「冷静」な意見を聞く。

 

客観的、且つ わたしにとって
最適な答えを 真っ直ぐに 惜しげなく伝えてくれる。

 

その姿に触れる度に思う。
これこそ相談にのる人の姿勢だな、と。

 

わたしが
誰かに相談することが ほとんどないのは
もうメンターが目の前にいるからなのだ。

話さなくても
見せてくれるだけで感じることもできる。

そしてわたしは
子どもたちに隠すこともない。

 

昔から思ってきたんだ。

 

カウンセラーなんていらない、
身近な人とで癒しあえる。

 

それを確かめるために
わたしは心理学を深めて
カウンセラーになったのかもしれない。

なって思うのは
肩書きはどうでもよくて

大切なのは
【日常】で癒しあえていること。

「そこに愛があるかどうか」

 

子どもを生んでよかったなー!と
しみじみと実感した頃

長男から
「母さん、生んでくれてありがとう。
もう、自分のためだけに生きやー」
と言われる。

 

すべて通じているのである

 

心が繋がり合い、分かち合える幸せは
ほんと
ほんと
日常に、側にある。

りんごろ

読んでくれてありがとう。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次