子どもたちと仲が良い、とよく言われるし、
子育てで悩んでなさそうとも言われちゃうけど
子育てとはドロドロ(な感情)が付きもの、だと思ってきた。
つまり悩みあれば、喜びもひとしおで。
だって、
産んで体力使ったー!と思って休みたくても
あまり寝れないまま、
おしっこの世話から始まったりする。
き れ い ご と とか言ってらんないから
ど ろ ど ろ。
それも含めて 愛しいと言うか、
「あれ?おしっこの色が濃いな」とか
そんな小さなことが
探求になったり、喜びになったり、
驚きになったり、不安になったりする。
好きなことをして、誰に会って
何処に行って
どんな学びを深めているか?も いいが
日々に愛があるかどうか、が
自分の軸だし、支えだし、だいじ。
今日は娘っこと買物に行った。
たんまり服を買ってもらって、
ママと一緒なんだから好きなものを食べて、
あれも見たいな、食べたいな、とかも
好き放題言って、
途中は暑くてぐったりしても
ママには少しくらい当たったっていい、
という魂胆がミエミエでも
その毒さ加減も含めて可愛く思える
「親バカ」を発掘されてくれたのが
日々のドロドロの中で
このコたちからもらった光。
それは素直さや愛情。
人って(わたしって)
愛が超絶欲しい生き物なんだとも
思い知らせてくれた。
で、今は子どもたちも大きくなって
体力てきには大変なことはないし、
求められることも少ないけれど、
妙に学費はかかったり、
一人前なことを言うわりには まだ自立はしていない
が、
これまでの苦労と、かけてきた愛情は
心の平安と豊かさというカタチで還ってきていて、
こんな日もくるんだと思うほど。
今はそうは思えなくても、そんな日はくる。
子どもたちから卒業した方がいいと助言もされるが、
あまりに楽しく、優しいコたちだと、
うちに帰ることを考えるだけでウキウキもしちゃう!
そんな気持ちを湧かせてくれる人になったことが
何よりの喜びで、
人からすると「親バカ」なんだろうけど、
卒業はしてるからご心配なく、です。
(そんなコは、親を卒業もさせるのよ)
だからと言って、
人生の日々に悲しみはやって来ないなんてなく、
落ちたり、泣いたりする。
わたしは愛が欲しい人だけに、凹みも極端だったりで、
ひとりドロドロをやってのけてたりもする。
でも、すべてのわたしをまるっと肯定。
これが未来への希望と良い意味での自分への期待になるし、
自分のすべてをまるっと肯定するから
人にもできると思っている。
人に対して言ったり、思ったりすることは
自分の中にあるものの反映。
人に対して思っていることを抱えている自分を
まるっと肯定したらいいと思う。
(最初は吐きそうになるけどもw)
自分の中にないものなら、
そのエネルギーを寄せ付けないし、離れているはず。
肯定って良い意味で使っているのではなく
そのままの等身大を、そのままあるとしているだけ。
気を取り直して音楽から始めたり、ね。
何が言いたいのかというと
仲が良い、とか 悩んでいない ように見えたって
どろどろは付きもので
わたしでも希望や期待を持てるということは
誰にでも
今はそうは思えなくても、そんな日はくる。
わたしのBlogは暗い系が多いが
それほどに凹んできたということ。
それでもまた浮上するw
そんな風に見てもらえたらと、ただただ思ってます。