友を見送った帰り道、氏神さまに挨拶に。
鳥居をくぐるとすぐに
太い枝が折れている木を目の当たりにし、
台風の影響はここにも出ていたか、と今更ながら気づく。
でもわたしは
その断面の美しい生きた色を
しばし眺めて思った。
大丈夫、と。
瞳に力を感じる時、
この人は何が起こっても大丈夫!と
理由なく確信する。
それと同じ意味の「大丈夫」を
この木の姿から感じると同時に
励まされているようにも思え、
見守っていただいていることに
改めて思いを馳せて感謝の挨拶をした。
気持ちが沈む時は
ひとりぼっちのように思えることもあるけれど
今、肉体があるということは
引き継がれてきた命の繋がりの証だという事実。
ひとりぼっちで
ポーンと生まれきた人などいない。
見えない力にまで見守られていると思えばいい。
そして
人に頼り、甘え、分かち合えることは
いつでもできること。
心から感謝することも
心から謝ることも
どちらも
頼り、甘え、分かち合うこと。
プライドや意地や不安や恐れが
ジャマをするなんて
ちっぽけな頭の中の思考程度に
振り回されていては もったいない。
カッコつけるって
時にいちばんダサい。
折れた枝の断面を見て、
自然の猛威の跡を見て、
ダサいと思うだろうか?
そこから生きる力に、
超えていくエネルギーに、
人は逆に力をもらうのではないかと思う。
あるがまま、本音がいちばん伝わる。
伝わらないのは、伝え方が問題なのではなく
本音ではないということ。