繋がり合うことは 大切なサインを より感じられるようになる

怒涛の日々を過ごした。

「急に」
こんなことに!

そんな風に感じることがあるが
それはきっと「流れ」の一部であり

「急に」感じたのは
「わたし」なのかもしれない。

もっと感じることができていたなら・・・

なんて思うけれど
人はひとりでいれば
限られることもあって

だから他人が必要で
繋がり合うことで
大切なサインを
より感じられるようになるのだろう。

福岡で仕事。

その前に
なぜか「虫の知らせ」のような
ざわざわする感覚があった。

父が事故で亡くなった、雪がハラハラと降りた夜も
母が倒れたジリジリした暑い夜もそうだった。

この自分の感覚を信頼するなら
「誰かが宇宙に還る日が近いのかもしれない」

そう感じた後に
「終末期に入った」連絡があった。

夜中に急にテレビが点いたりしたのも
お知らせだったのかもしれない。

母のときは突然すぎて
「覚悟」のないまま
死を受け入れることができず

悲しみにくれて
後悔もたくさんして
取り戻せない時間に涙が溢れる日々を過ごし

体まで壊してしまったけど

母の子として生まれきた喜びと
母に育てられた感謝を思うと

死は別れではなく、
次なるステージなのだと思うことができるようになった。

これが最期に母が遺してくれた
わたしへのギフトだったのだとも思う。

いつかはわたしもそちらに行く。

なにごとも自分ごと。
わたしもそうなるのだと今は腑に落ちている。

今回の福岡では
山笠で有名な櫛田神社さんにご挨拶に行った。

木と木の間、
遠くに見えた「お月さま」

見守れられている
と思うと
心がホッとする。

ここの「良縁みくじ」は
博多弁で書かれてあって
読みながら懐かしい響きに
この土地が育った土地なのだと感慨深く感じられていく。

このところ
何が自分にあろうとも

違う土地に行ったときには

この土地のエネルギーを感じ、
その土地のモノを食べ、
ここでご縁のある方たちと一緒に過ごすことを
大切にしている。

「はじめまして」というより
ご縁のある人と、よりご縁を深める。

繋がりあったということは
胆が惹かれ合ったのだと思うから
(逆に離れる場合は「胆」では繋がれなかったということ)
その自分の感覚を大切にするといった感じ。

なによりこれはパワフルになる魔法であり
深めることで広がっていく不思議も体験できる。

これまでも旅に出ていたけれど
「ご縁」を深めるというよりは
「はじめまして」に時間を割いていて
どこかしっくりこないというか、、、

後に疲れ果ててしまう自分がいて

それは
根っこで繋がったのではなく
葉っぱどうしが風になびいた感じ。

その時間の過ごし方が
自分らしくなくて、、、、、やめた。

そして
どんな風に時間を過ごすのか、
誰と分かち合うのか、

それが
仕事を充実したものにしてくれることも知った。

そして、そして、よく食べました!!!

キャベツ盛りの多さも、福岡ならでは!
串にささっていたら何でも「やきとり」なのも❥

この福岡滞在期間に
終末期と知ってからあっという間の
現世の別れを知らされましたが

「やはり」と感じた自分もいました。
そしてわたしは、覚悟ができていたのだと。

ここでのご縁ある方々との食事のときに
「死と再生」はセットだという話にもなっていて

再生が始まったのだと捉える自分がいて
変容へと進めたように思えました。

これらも
流れとサインを信頼したからでしょう。

 

なんてBlogに綴っていたら
かかった曲は「今夜はブギー・バック」

神さまがくれた甘い甘いミルク&ハニー♪

この歌詞が耳にとまるなんて、、、ね。

家を出るときに
子ども達に「ママ、また紫ばっか」と言われて気づきました。。。

今回も紫テロです!

りんごろ

読んでくれてありがとう。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次